孤独と集中力はどこかで繋がっている気がする。

 

僕はコンサートで地方へ行くと、その土地にある映画館に行ってみることがよくある。

行ったことのない地方、もしくは、慣れ親しんでいない土地で映画館に入ると、孤独感が集中力を引っ張ってきてくれて、よく体と心に内容が入ってくるからだ。

 

その日も僕は慣れ親しんでいない土地で映画館に入った。

観に行ったのはアメリカのスナイパーが活躍する映画だった。

主役の俳優も好きな人だったし、かなり期待していた。

 

予想通り、いい映画だ。

戦争ものとはいえ人間的な部分の描写も表現されているが、何しろ「スナイパーもの」とだけあって緊張感がすごい。

静と動のコントラストが画的にも音的にも秀逸なのだ。

 

ターゲットを狙う主人公。

狙い研ぎ澄まされ発射される銃弾。

それを皮切りに始まる狂ったような戦闘。

 

主人公がスコープを覗き、ターゲットを狙う。

音も時間も停まってしまったかのよう。

(がりっがりっボソボソボソ)

 

 

隣の席の男性客がポップコーンを楽しんでいる。

(がりっがりっボソボソボソ)

 

 

主人公がターゲットを仕留めたが、周りにいた適に気づかれて大規模な戦闘…

(がりっがりっボソボソボソ)

 

 

隣の席の男性客のポップコーンの楽しみ方もエスカレート。

(がりっがりっボソボソボソ)

 

いつもより集中しているからか、僕はその音がどうしても許せなかった。

しばらくは我慢した。

でも、一向に治まることもなく、僕の精神とポップコーンとの戦闘は続いた。

男性客は無意識で、全く罪の意識なく、ポップコーンを楽しんでいるようだった。

横目で見ると、とてもマトモそうな、そして礼儀正しそうな30代の男性だった。

メガネをして、ボーダーのポロシャツを着ている。

彼女と来ているとかではなく、彼もまた僕と同じ、お一人様の映画鑑賞のようだった。

 

僕は彼そのものには好感を抱いた。

しかし、悪意のない行動だけに、そのポップコーンの楽しみ方には苛々した。

映画は中盤くらいだろうか、まだポップコーンが治まる気配はない。

 

僕の苛々は彼よりむしろ映画館に向けられた。

「なんで音の出る食べ物なんか売るんだよ」

そもそも論だ。

携帯をoffにとか、前の席蹴らないとか、細かい事注意してるくせに、音の出る食べ物はいいんか。

解ってる。解ってるぞ。

劇場の飲食は結構な「儲け」になるんだろう。

ポップコーンやホットドッグ、ジュースなどの飲食の原価は低い。

そして、高確率で鑑賞客は買っていく。

 

鑑賞する環境の質より、利益を優先させた経営陣の事を心底恨んだ。

僕の脳裏には、見るからに悪そうな金の亡者たちの顔が次々に浮かんだ。

そいつらが会議室で「ヘッヘッヘ、あの映画が当たらなくてもこっちにはポップコーンがありまっせ」なんて言っている姿を想像して、いてもたってもいられなくなった。

 

「すみません…」

僕は恐る恐る隣の男性に声をかけた。

僕がその時持てた一番の誠意を持ちつつ。

「すみません、ポップコーンなんですが、もう少し静かに召し上がることはできないでしょうか…」

顔の位置は、顎を引き目にして、上目遣いで相手を見るくらいにしておいた。

 

すると、隣の男性客は、一瞬驚いたような表情をし、すぐに謝ってきた。

「気が付かずにすみません!」

彼は大きな声が出せないと悟ってるので、声にならないかすれた声で、謝っていた。

しかし、その全身のアピール度から、その声は彼の中での最大音量を表現していた。

 

…なんていいやつだ。

僕は、クレームを彼に投げつけたことを少し後悔した。

赤の他人の、同世代の同性にクレームをつけられたのに、反射的に全身全霊をかけて謝れるなんて。

当たり前のことが出来ないんだ。

人間なんてそんなもんだ。

でも彼は違う。

 

 

僕は、なんともいい気分になって映画の続きを見始めた。

しかし、僕と彼の間には少しギクシャクした時間が流れ始めた。

彼は、明らかに僕がクレームをつけて以降、ポップコーンを食べにくくなってしまった。

僕としても、全く食べないでほしいという気持ちではない。

確かに、音の出る食べ物を鑑賞中に食べるのは反対だが、それでも個人個人の楽しみ方があるという点においては「フェアー」でなくてはならないと思っていた。

 

音の出る食べ物が悪だというのは、僕の正義である。

彼の正義を否定してはならない。

ましてや、映画館が勧めて売ってるものなんだ。

僕の気持ちは、少しずつ、「彼にまたポップコーンを食べて欲しい」というものに変わっていった。

 

 

10分か、20分か、僕にはわからない。

しかし、その時はやってきた。

クレーム事件から少し経って、彼がまたポップコーンを口にした。

とてもデリケートな動きだった。

さっきまでの音がフォルテなら、ピアニッシモくらいに落ちていた。

僕は安心した。

 

 

主人公がスコープを覗き、敵を探す。

(無音)

 

 

主人公が撃つ。

(無音)

 

 

大規模な戦闘になり打ち合いになる。

映画本編の音も凄まじいものに。

(がりっがりっボソボソボソ!!!!)

 

 

なんと、彼は、映画の音に合わせて食べる箇所を考えているのだ!

静かな箇所では微動だにしない。

息もしてないんじゃないかってくらいに。

映画がうるさくなると、彼のポップコーンを食べるペースも上がった。

それこそ、戦闘というのがふさわしいくらいに貪り食べた。

 

ちょっと待て。

逆に気になる。

 

主人公が息を飲んで緊張している時、僕もまた隣の彼のポップコーンの様子を感じ取り緊張した。

戦闘が激しくなる時、僕もまた心の中で「よし今だ!ポップコーンを食べるんだ!」と大きな声で叫んだ。

気づけばもう、僕はこの映画を観ていない。

むしろ、彼のポップコーンを鑑賞している。

 

結局、何も消化できずにこの映画は終わってしまった。

終わりとともに、彼は僕に申し訳なさそうに会釈をして帰って行った。

彼もまた、映画の戦闘よりポップコーンとの戦闘の方に気が入ってしまったかもしれない。

僕一人が我慢すれば、彼はすごく楽しめたんじゃないか。

僕が神経質すぎるのではないか。

僕は自分を責めた。

 

気がつくと、エンドロールも終わり、係りの人が終わりの挨拶と片付けに来ていた。

僕はそれでもしばらく立てなかった。

エンタメのプロとして、彼の楽しみを奪ってしまったかもしれない事に重い罪の意識があったからだ。

 

悲しい気分になった。

僕は、映画館のロビーへ出て、有名シネコンの館長をやっている知人に電話した。

「どうして映画館でポップコーンを売るんだ」と僕は暗い声で訊いた。

 

「スナックの中でもポップコーンは音が出ない方のものなんだよ」

 

彼は仕事中にもかかわらず、落ち着いて答えてくれた。

「いい人ばかりだ」と僕は呟いた。

自分の都合に合わない人を悪人と思うなんて、僕こそ悪じゃないか。

恥ずかしい気持ちになった。

しかし、僕だって悪意があるわけではない。

正義の歯車が合っていないだけだ。

 

僕はそっとロビーの椅子に座って、あたりを見回した。

夫婦、友達、カップル、お一人様。

それぞれ、嫌な顔をしている人はいない。

みんな、希望を買いにここにきている。

 

なんだか愛らしいような気持ちになってきた。

僕は口の右側だけで笑ってから、ポップコーンを食べてみた。

これが、そんなに美味しいのかねえ。

映画館は、世界一正義がズレる場所だよ。

さあ、帰るとするか。

 

世界は愛でできている。