その日は妙に朝が早かった。

なんとなくスッキリ起きてしまったのだ。

だもんだから、朝の9時を過ぎる頃には昼間のように頭が冴えていた。

 

妻も子も9時前には出かけて行った。

家に一人で頭が冴えていても何も得することがなかったので、コーヒーでも飲みに喫茶店へ。

しかし、コーヒーを飲み終えてもまだまだ朝だった。

 

仕方ないから10時開店のデパートを散策。

食料品売り場は、ある店はガラガラ、ある店は長蛇の列だった。

しかも、並んでいるのは男性ばかり。

「!?」

男性…?平日の朝に…?

考えたらすぐに解った。

 

    「ホワイトデイ」だった。

 

そうか、ホワイトデイか。

僕はあまり「行事」というものが好きでないし、その重要性がイマイチ解らない。

行事に何か気持ちを表明するより、毎日のちょっとしたところで気持ちを表す方が大切だと思うからだ。

なにも、愛する人に皆揃って気持ちを表明しなくてもいいじゃないか、といつもの天邪鬼が出る。

 

まあしかし、だ。

今日は偶然にも早起きして頭が冴えた状態でなんとデパートの食料品売り場にいるではないか。

ケーキの一つくらい妻に買って行ったっていい。

ホワイトデイなわけだし。

 

ということでケーキを購入。

車を駐めてあった駐車場へと歩く。

車に乗る。

エンジンをかける前に思い出したことがある。

そういえば、昼過ぎに妻の友人がうちに遊びに来ると言っていた。

ケーキは割と余分にある。

大丈夫だ。

しかし、男として、客人を迎えるのに紅茶の一つでもつけられないのか、俺。

ケーキを助手席に置き、また食料品売り場へ。

 

 

さて、紅茶の葉を買いにきた。

どの葉がいいか迷う…

すると、店員さんが明らかに僕を凝視している。

それを横目に色々思った。

こんな時間にデパートの食料品売り場で働き盛りの男が葉をみていては中々目立つのは確かだ。

周りを見渡すと女性の海。

いや、もう宇宙。

99パーセントは女性だ。

 

そうこうしてる内に僕は葉を決めてレジへと行った。

よりにもよってさっき凝視していたスタッフに当たる。

「お客さま、この葉でしたら、ホワイトデイ用のパックがされているものが少しお安くなっております」

いや、と思った。

特にそういうパックは要らなくて、、、

「少し量は少なくなってしまうのですがね…」

僕の顔を覗き込むようにスタッフが顔を斜め下から近づけてきた。

あまりにも丁寧で、くすぐったくなるような喋り方だった。

 

「はい、そっちでお願いします」

 

えええええ。

僕は自分で耳を疑った。

なんだか、その場の空気に流されていた。

勧められたパックを買おうとしていた。

悔しかった。

「でも、アールグレイとダージリンを二つください」

一矢報いた。

「はい、かしこまりました」

 

なぜか汗をうっすらかいていた。

早く帰りたかった。

支払いを済ませ商品を受け取る。

「レシートになります。

 商品の袋にお入れしておきますか?」

おそらく僕がカバンも財布も持っていなかったからだろう。

「いえ、車だし、いいんです」

車だしは関係ねえだろ、と思った。

すると、僕の予想以上にかしこまったスタッフが、

「大変失礼いたしました。私の考えすぎでした。余計な御世話を…」と言った。

考えすぎ?余計なお世話?とんでもない!

僕は水をかぶった後の犬くらい首を振った。

 

とにかく駐車場へ急ごう。

なんだこの流れ。

車に乗る前にエレベータ前の事前精算機で精算…と何組か並んでいる。

横の椅子に座る。

僕の後ろには誰も並んでいない。

さあ、自分のペースを取り戻すんだ。

 

僕の番になると、そこから誰もいなくなったことを確認し、ゆっくりと精算して…

「キヨちゃん?」

僕はすごい速さで声のした後ろを振り返った。

そこに立っていたのは知り合いのケーキ屋さんだった。

「え、キヨちゃんこんなとこでなにしてるの!」

彼は近寄ってきて握手してきた。

嬉しかったが、びっくりしていた。

誰もいなかったはずなのに、この人忍者?

「あ、いや、ケーキを買いに」

とっさに僕は紅茶のことは隠した。

なぜだかわからないけれど。

「あぁ、ホワイトデイだもんね」

ケーキ屋の友人が言った。

ここまできて僕は気づいた。

このデパートに彼の店がある。

しかも、僕はわざわざ朝早く買いに来たっぽくなっている。

 

   「友人の店のケーキ、もちろん買ったよな」

 

もう一人の僕が心の中で問い詰める。

やべえ。

違う店だ。

またアウェイだ。

もう一刻も早くここから脱出したかった。

「なんか、プライベートで会うと恥ずかしい!」とか適当にはしゃいだフリをした。

 

  「いやいや、いつも会うときプライベートでしょ」

 

詰んだ。

もうなにも返す言葉がない。

「それじゃ、俺急ぐから!」

手を振って、小走りに車に戻った。

車の中は落ち着いた。

ゆっくりと走らせた。

深呼吸するかのようにゆっくりアクセルを踏んだ。

信号をくぐった。

道を曲がった。

駐車した。

家に帰った。

手を洗った。

部屋着に着替えた。

ソファに座った。

コーヒーを飲んだ。

紅茶を忘れた。

 

  …!?

 

紅茶を忘れた、だと!?

僕の頭の中にイメージが流れる。

引きの画から段々と近づくカメラ。

椅子の上に忘れ去られた紅茶の葉が最後はアップに。

エンドロール。

もう取りになんて行くもんか。

無かったことにしよう。

曲まで頭に浮かんで来たもんね。

この映画はこれで終わりなんだ。

ケーキで十分でしょう。

 

僕はシャワーを浴びた。

そして声を噛み殺しつつ叫んだ。

「なんやねーーーーん!」

なぜか関西風だった。