「泣きたいと死にたいが似ているから困るんだ」
と、静かに語ったのは、友人の心理学の先生だった。

彼は有名な医大の学者であったが、カウンセリングなどの検診もやっていた。

「人はね、自分の気持ちを自分でちゃんと理解するのに、とても時間がかかるんだ。
気持ちや考えだけが先に浮かんできて、それらがどういうプロセスで出来上がったのかは理解できてない」

「数学で言ってみれば、なぜか答えだけふと頭の中に浮かんできて、どうしてその答えが出たのか解ってない状態だ」

彼は自分の考えを話す時、僕の目をけして見ない。
僕に話しているというよりかは、僕を通じて自分と意見を交換しているような感じだった。

「人間にまつわる大抵のことがそうじゃないですか?」
僕はなるべく明るい口調で言った。

「人体だって、、例えば脳だって、もう人体の中の一部として立派に活躍して成り立っているのに、その構造や仕組みは全然解らないじゃないですか」

彼は相変わらず目を合わさずにいる。
しかし、少し顎を引いて頷いたような気がした。
それが同意という意味だったのか、少し論点のズレてた僕の見解への不一致を、気まずくしないための彼なりの愛想だったのか、僕には解らなかった。

そのうち彼は吸っていたタバコを消して、その動きと繋げて話を始めた。

「カウンセリングをしていると、色んな不幸を垣間見る」
「でも、人にとって不幸の度合いというのはあまり関係ない」
「幼少期に親に棄てられてそれを引きずっている人もいれば、飼い犬が死んで立ち直れない人もいる」
「交通事故の現場に出くわしてしまった人もいれば、ただの失恋もある」

彼は言葉を箇条書きを読んでるかのように話す。

「ただの失恋…」
僕は独り言として復唱した。

「そう。ただの失恋。[ただの]ね」
彼はただのを強調したかったようだ。
僕はその策にまんまとハマった。

「ただの失恋だけど、人を死にたいと思わせるには充分なほどの力がある。人の不幸に大きいも小さいもないんだ。人が辛いと思った時には一律の痛みが伴うわけだ」

「だけどね。人は痛みの中身を分析しないんだよ。死にたいと言って私のところを訪ねてくる人の殆どは、結局[泣きたい]んだ」

彼は目線を少し落とした。

「そんなもんですかね」
僕は言った。なるべく明るく。

「そんなもんだよ」
彼は言った。相変わらず目を合わせずに。