白旗の少女! | 佐手久出身ですが!関西大阪ラーメン食べ歩きブログ!

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白旗の少女

1945年6月25日・・・太平洋戦争の終わりに近い沖縄戦で日本軍が壊滅し沖縄戦が終決した6月23日から2日目、珊瑚礁のガマ(自然洞窟)から一人の少女・・・比嘉富子さん・・・が白旗を持って米軍に投降します。

1983年・・・沖縄で米軍が沖縄戦を記録したフィルムを沖縄県民が1人1フィート分のお金を出し合ってアメリカから買い取って、永遠に記録に残そうという運動が起こり、翌年その一部がテレビで紹介され白旗を持った少女の姿を富子さんのご主人が見つけます。

1977年・・・実は富子さんはコザ市(現沖縄市)の洋書店で英文の戦争写真集の中から白旗の少女(自分自身)を見つけますが、誰にも話すことなく自分一人の胸にしまっていたようです。
誰にも話すことなく自分の中に封印しておく、このことでずいぶん悩んだようです。


1987年・・・「おまえ自身の沖縄戦を、ありのままに話しなさい。後世に記録として伝えなさい。それは、おまえにしかできないことだからね」・・・ご主人の後押しでようやく自分の経験を告白、新聞に紹介されます。コザの書店で自分を見つけたときから10年後、フィルムが公開されてから4年後です。

写真は1945年6月25日、ガマから白旗を掲げて出てきた少女を撮った米軍の従軍カメラマンの写真です。

富子さんはレンズを向いて笑って手を振りました。
カメラのレンズを銃口と思ったからだそうです。
「泣きっ面を見せるな。最後は笑って死ね」・・・という父の言葉を思い出したのです。  
白い旗はガマの中でいっしょに数日を過ごした両手両足を失ったおじいさん、目の見えないおばあさんが褌で作ってくれたものです。
「富子、この世でいちばんたいせつなのは、人の命なんだよ」・・・・・・
「富子、これを、もって、お逃げ」・・・
「それをもっていけば、ぜったいに安全なのだ。それが世界中の約束だから・・・


1989年・・・体験を書き溜めて検証してきた本が出版されます。

「白旗の少女」 
比嘉富子・文 依光隆・絵
(講談社1989年刊)


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元ネタ
https://www.facebook.com/photo.php?fbid=1440767089485048&set=a.1399945990233825.1073741825.100006553124819&type=1&theater