七城、城跡! | 佐手久出身ですが!関西大阪ラーメン食べ歩きブログ!

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こんな記事見つけました!

 佐手久集落の北西の崖上、字は志戸桶増ケダにある七城。現地の看板書を要約すると、壇ノ浦の戦いに敗れた平資盛が、当地に居城を構え七城と称して源氏の襲来に備えたが、三年ののち大島に渡ったという。
 七城は、城と漢字が当てられていることからグスクと紹介している文献等がありますが、他の文献や奄美の研究員等に聞いてもグスクと呼ぶことはないからグスクではありません。では、城(しろ)かというと、仲松弥秀は「神と村」において、周辺に水源がないこと、源氏の侵入を監視すべき北方の海が見えないこと、城(じょう)とは琉球方言でいう門をさすジョーが語源であることから、そもそも城(しろ)であることに疑問を呈しています。同書によると、南西諸島には七つの門がある聖地が多いことから、祭祀場であると推測している。なお、仲松弥秀は門らしき場所は五つ発見したとのこと。
 管理人もこの七城の語源は仲松弥秀が言うように門であると考えます。しかし、島の研究者や名瀬で研究者の高梨修さんに聞いたところ、七城からは東はもちろん北側の海も見えるという。したがって、防御という観点からは絶好の場所にあり、城(しろ)というのも間違いではないと言えるでしょう。水源に関しては、集落に下りれば確保できるし、弁財天の方にもあるので(当時からあったかは不明だが)、城(しろ)であることを否定するには足りないように感じます。


そんなわけで!七城です!



佐手久から山に登ってすぐにあります。



中は土や石をもった後しか残っていません!



佐手久側から見た七城うです!



こんな感じで今わ土手ですが?

昔はここにお城があったなんて!

次島に帰ったら見に行きます!