今日は城山三郎さんの

「そうか、もう君はいないのか」より抜粋します。

奥さんが亡くなられた時に書かれた本です。


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「妻」

夜ふけ 目覚めると
枕もとで何かが動いている
小さく咳くような音を立てて

何者かと思えば
目覚まし時計の秒針
律儀にあきることなく動く
その律儀さが 不気味である

寝返りを打つと 音は消えた
しばらくして おだやかな寝息が
聞こえる
小さく透明な波が
寄せては引く音
これも律儀だが 冷たくも
不気味でもない

起きている間は いろいろあるが
眠れば 時計より静か

「おい」と声をかけようとして やめる
五十億の中で ただ一人「おい」と呼べる おまえ
律儀に寝息を続けてくれなくては困る



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