今日はこんなお話です。


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粗末なボール紙でできたその標識は、木の杭で地面に立てられていました。サウスカロライナ州コンウェイの郊外、川の土手にさしかかる辺りです。標識にはこうかかれていました。



「幸せなら、クラクションを鳴らしてください。」




こんな標識を立てるとは、なんと気楽な人間がいるもんだ、とあきれて首を振りながら私は走り去りました。「まったくくだらない。幸せ?なにが幸せだ。」と思っていました。そのころの私は、幸せとは何かがよくわかっていなかったのです。喜びというならわかります。でも、たとえいいことがあっても、次の瞬間にはどうせ何か悪いことが起こって、現実に引き戻される。幸せなんて幻想にすぎない。死んだあとにやっと手に入るんだろう。そう考えていましたが、実際はそれも信じていませんでした。



二週間後の日曜日、友人達と遊びに行くため、ふたたびハイウェイを走っていました。妻と子供ととても楽しくドライブをしていたのです。川の土手でまたあの標識をみつけたとき、深く考えずにクラクションを鳴らしました。「何?誰かいたの?」と妻が聞いたので、「幸せなら、クラクションを鳴らしてくださいっていう標識が出てたんだ。幸せな気分だったから鳴らしたのさ。」と応えました。




子供にはこういうことは不思議でも何でもないようです。人生のすべての瞬間は、幸せのためにある。一つの瞬間が終われば、次の瞬間がまた幸せのために存在します。クラクションを鳴らしてそれを祝うのは、自然なことに思えたのでしょう。



その日の帰り道、標識の横を通り過ぎたとき、娘が甲高い声で言いました。「クラクションよ!パパ、ほら、鳴らして!」このときには私はすでにあすの仕事を考え、気分が落ち込んでいたのですが、娘を喜ばせるために、クラクションを鳴らしました。



そのとき、私の心に何が起きたか、私は今でも覚えています。ほんの一瞬でしたが、さっきよりも幸せを感じたのです。クラクションの音が、今朝方の楽しい記憶をよみがえせたのでしょうか。それ以来、家族とともにそこを通るときは、クラクションをならしてと娘が要求します。私は、いつのまにか、そこを通るときは、クラクションを鳴らすようになりました。



ある日、妻が笑いを押し殺しながら帰宅しました。
僕が、「どうしたんだい?」と聞くと、
「今日の午後、ハイウェイをおしゃべりしながら運転していて、うっかり後ろをよく見ずに車線変更しちゃって、隣の車を路肩に押し出しそうになったの。」
そこでまた彼女は笑い出します。私には何がおかしいのかさっぱりわかりません。
「その車のドライバーはものすごく怒って、車をこちらの横につけると、中指をつきたてて、クラクションを立て続けに鳴らしたの。」
とんでもなく危険な状況だったわけです。笑い事じゃありません。すると妻はこういいました。



「リア(娘)が、その人を指差して、



ねえ、ママ、あの人すごく幸せなのね!



と言ったの。」



ーもう不満は言わないより抜粋ー



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