今日ふと目についた光景。
2歳くらいの女の子が、道路と歩道を仕切っている鎖を
なんだろうこれは。。。
とばかりにじーっと見つめて、
実際に手にとって見て、
一つ一つの鎖を手に触りながら、
チェーンをブラブラして遊んでいました。
その時間はほんの数分かもしれないけど、
横にいる母親は、
「早く行くよ。」
とは言わずに、子供の気が済むまで横で微笑みながら
立っていてあげました。そんな光景がまた微笑ましい。。。
その子供にとってはチェーンも珍しいものなんだろう。。と思いながら僕も眺めていましたが、その子はまるで初めて手に取ったかのように、
これは何だろう。。。
と好奇心満点の目をキラキラさせながら確認しています。
少し視点を変えてみて、20歳くらいの立派な女性がチェーンをジーっと眺めて、数分間ぶらぶらさせていたら、明らかに危ない。これが、40歳のおっさんになった日には職務質問せずにはいれません。(以前ブランコに乗りながら「仕事なんかやーだやーだ。」と言ってるおっさんは目撃しましたが。笑)
何が言いたいかというと、僕達は、大きくなるにつれ、
いつのまにか目にするものが当たり前になってきたり、
好奇心を失ったり、今の自分の考え方を当たり前だと思ったりする。もしもアフリカに生まれてれば、大学を出るのはけして当たり前なんかじゃないし、キューバに生まれてれば、サルサは立つのと同じくらい当たり前の文化として根付いてる。500年前の日本に生まれてれば、戦国時代で生きていくのに必死だった時代でしょう。
目をキラキラさせながらチェーンを触っているその子を見て、いつまで経っても好奇心が一杯で、
こころや、もののとらえかたがやわらかい。。
考え方が柔軟な大人でありたいな。。と感じました。
ちなみに、僕の友人で一番心がやわらかい友人はたぶんこの人。
文筆家の伊勢華子ちゃん。
「美しさを忘れてしまった人は、世界の果てまで旅しなければなりません」
そんな言葉と共に、今週土曜、トークライブをするそうです。
もう30代なのに、3歳のままのようなやわらかいこころや、
ものごとのとらえかたができる子です。
43回のピースボートに一週間だけ乗ったとき、
たくさんの時間を一緒に過ごしてくれた華ちゃん。
久しぶりに会いたいなあ。