ハーバード大学では、学期の最後の授業では、その授業の内容に関係なく、教授が人生の中で若者たちに贈れるはなむけの言葉、人生の師としてのアドバイスを贈るそうです。学生たちは、しんと静まり返って人生の師の経験に耳を傾けるそうです。今日のお話は、ハーバード大学教授、故ジャイ、ジャイクマー教授がその際に話したお話です。長いので二日に分けようと思います。
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私は子供の頃から山登りが大好きだった。故郷のインドで過ごした少年時代、マドラスにある家から北のほうにある山に出かけては、山登りを楽しんだ。大学生の頃には、一年のうちほぼ四ヶ月を「天職」の登山に費やし、残りの8ヶ月は「趣味」の工学を学びながらひたすら山に登れるのを待っていた。登山家としての技術が向上するにつれ、私は世界の最高峰であり、インド亜大陸の境界にそびえるヒマラヤに強く惹かれるようになった。
30年以上も前、私はそのヒマラヤの山中で、命の危険にさらされると同時に、人生が一変するような体験をした。私はこの体験によって、恵まれた立場と責任の関係をどう考えるべきかを学ぶと同時に、それまでになかったまったく新たな情熱を得たのだ。
1966年のある夏の日の事だ。私はごく親しい山仲間と二人、ヒマラヤ山脈の標高7300メートルの山の頂上に到達した。時間は夕方の四時。峰峰を照らす陽はすでに翳り始め、景色を楽しむ時間はほとんどなかった。
ハイキャンプから登頂を始めたのは、その日午前二時のこと。予想していたよりはるかに苦しい道のりだった。当初は、午後一時までに頂上に着けなかったら登頂を諦めて下山する事にしていた。夜までに安全にキャンプに戻るためだ。だがその一時になったとき、何日か待って再度登頂にトライするという気持ちはどこかへ吹き飛んでいた。二人とも申し分なく健康で経験も豊富なクライマーだ。私たちはそのまま登頂を続ける事にした。
その頑張りが報われて、私たちは山頂から眼下の光景を眺めていた。でも、時間が無いこともよくわかっていた。短いお祝いをしたあと、私たちは下山を始めた。夕闇が迫るなか、慎重に地面をアイスピックで叩きながら、私たちは少しずつ下っていった。
下山する途中には、雪庇ができた、とくに危険な尾根があった。雪庇とは、風によって岩壁にひさし上に付着した氷や雪の塊のことだ。登山者の目からは雪庇の下側は見えないし、地面からどれくらい突き出しているか、どのくらいの重量に耐えられるかも判らない。危険の大きさをしる私たちは、互いの体を結び付けていたロープを解いた。これで、もしどちらか一方が転落しても、相手を死の道連れにすることはなくなる。
先頭は私だった。次の一方を踏み出そうとしたとき、爆発音のような大きな音が聞こえた。私が本能的にその場からさっと飛びのき、相棒が逆へ飛びのいたその瞬間、足元の雪庇が崩落した。
落ちたところは切り立った斜面だった。固い地面に触れたのを感じて、一瞬ほっとしたのも束の間、あまりの急斜面に足が滑って仰向けに倒れた。そのまま下へ滑り始めた私の体はあっという間に加速がつき、やがて時速100キロ近くのとてつもないスピードで急勾配を滑落していった。
専門家から訓練を受けていた私は、危険にどう対処すればよいかをわきまえていた。山腹を猛スピードで滑降しながら、ピッケルなどの尖った物が体に刺さらないように、不要な装備を体からはずした。奇跡的にもなぜか意識ははっきりとしていた。私は幾重にもなった装備をなんとかひとつずつはずし、最後には食料が詰まったザックもほおりだした。
それでも、スピードはコントロールできなかった。雪の小山にぶつかって少しは減速できるかと思ったがまるで効果はなく、ただ雪の山を次々に粉砕しながら落ちていくだけだった。下から飛ぶような勢いで現れる岩に激突すれば一貫の終わりだ。せめてコースだけはコントロールしようと、雪と氷の斜面に力いっぱい足を突き立てた。荒れた山肌との摩擦で服は焦げ、体は傷だらけになった。
やっと斜面がなだらかになり、体が横滑りして止まったのは、転落地点から標高差にして千メートル近く、距離にして2キロ半ほども下ったところだった。意識朦朧としてそこによこたわりながらも、唯一この体を寒さから守ってくれている登山服がずたずたであることはわかっていた。皮膚は焼け焦げて血まみれ、上半身は殆どむき出しだった。だが、あまりのショックと意識がぼやけているせいで、痛みはそれほどない。このまま凍てつく夜の寒気にさらされていたら、動けなくなるのは目に見えている。私は体を引きずるようにして、どうにか立ち上がった。
まるで拷問の苦しみだった。なんとか減速しようと踏ん張った為に両足はひどいダメージを受け、股関節と足首から下に激痛が走った。あたりを見渡しても体からはずした装備はどれひとつ同じ場所には落ちてきていない。食料の小袋一個を除いて、何もかもなくなってしまったのだ。さらに悪い事に、相棒の姿もどこにも見えなかった。登山に先立って周辺の地図を詳しく調べておいた私は、本来とは違う斜面をすべり落ちた事を直感した。この場所は、私たちのキャンプがあるのとは反対側の斜面なのだ。だがこの体の痛みと急斜面では、落ちてきたところをまた上るなどとうてい無理だ。
このまま下り続けて、気を失う前に避難場所を見つけない限り、命の助かる見込みはほとんどないとわかっていた。自分がどこにいて、人里からどれくらい離れているのか検討もつかないまま、私は歩く事にした。とにかく、歩けなくなるまで歩くのだ。
たとえ怪我もなく、装備がきちんとしていたとしても、あの下山は困難をきわめたはずだ。普通でも六時間はかかるところを、私は24時間かけて歩いた。休むときは、立ち止まってただじっとしているか、大きな岩に寄りかかった。座ってしまったら、二度と立ち上がれなくなると思ったからだ。夜も昼も、私は歩き続けた。
それは筆舌に尽くしがたい経験だった。途方も無い孤独感と絶望感、身を裂かれるような痛みと寒さ、そのうえ、大切な友人がおそらく死んでしまったという思いが頭から離れなかった。
と、突然、遠くのほうで犬のほえる声がした。急に気力がよみがえった。もう少し行けば、誰か人がいる!よろめくように前に進んでいくと、やがて小さな谷が見え、かすかな人の声と、子供の笑い声が聞こえてきた(あれほど美しい音がこの世にほかにあるだろうかと、今でも思う。)更に歩き続けると少し開けた場所に出た。その真ん中には小さな小屋がひっそりと立っていた。
安堵と疲労感で私はその場に倒れてしまった。
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今日はここまでにして、明日に続きます。