管理人です。やられました。ノロ君にやられました。ノロウィルス君にやられました。中学時代からの僕の正露丸万能伝説を打ち破るほどにしてやられました。この3日間はむーん、むーんと苦しみつつベッドとトイレを往復する日々で踊るどころではありませんでした。何が原因でノロウィルスに感染したのかは1週間くらいさかのぼらないと原因を特定できないそうで、1週間の食事を聞かれました。えー、木、金、土、日の食事までしか思い出せませんでした。(おじいちゃーん。)


木曜日は、九段のおいしいラーメン屋を食べに行きました。で、まったく話題は変わりますが、せっかく九段まで来たので、人生初、靖国神社まで足を伸ばしてきました。鳥居おっき!!!鳥居おっき!!!!!鳥居でっか!!!!(3回言うたった。)いや、それくらい大きいんですよ。あれはたぶん日本一の大きさですね。高さはざっと30メートル近くあります。で、柱は大人の男性が5、6人で手を伸ばしても手が回るかどうかっていうくらい太いです。こないに大きなもん作らんでもってくらいでっかいです。中国の故宮を思い出すくらいでかかったです。


ほいで、立派な靖国神社を参拝しながら、ふと看板を見ると、当時の兵隊さんの遺書が載っていました。


以下、内容です。

(遺書はカタカナですが、読みやすいようにひらがなに直して打っています。)


遺書


正之進殿


其の後如何。

やはり航空が一番よいだろう、それは飛行機に乗るようになればすぐわかることだ。大いに張り切ってやれよ。私も鹿児島の桜島の雄大な姿を眺めて鍛錬を続けてきたが、今は懐かしい夢の島と変わった。

空だ男の行く所、男児愛刀を抱いて南へ飛ぶ、一機、また一機砂塵をあげて我が隼部隊の戦闘機は行く。戦闘即ち航空戦の時代に、いかで日本男児の空に行かざるべき、真に国防の第一線こそ飛行機であり、搭乗員こそ国宝である、此の点に於いて我が一家は空の一家であり真に私の誇りとする所である。

早く旨くなって俺の後に続け俺の優秀なる弟二人のパイロットに絶大ノ期待をかけている。頑張れよ。


伸也


【海軍少佐 尾崎伸也 昭和19年6月19日、マリアナ群島方面にて戦死】


ふと見上げた看板に書いてあったこの遺書に運命的なものを感じました。僕の名前もまったく同じ伸也。かつ、先週の木曜日は、そう、6月19日だったからです。たまたま立ち寄った靖国神社ですが、読んでいてええええ?と思いました。ちなみに、実は僕は飛行機が大嫌いです。どのくらい嫌いかといいますと、できれば一生乗りたくありません。船でいけるところには船で行きます。どのくらい本当かというと、大学卒業した際に、チリでインターンシップをすることが決まったので、チリに行くための方法を探しました。で、飛行機じゃなくてピースボートに乗ってチリまで行ったくらい嫌いです。こないだ出張で福岡に行きましたが、東京から福岡まで飛行機じゃなくて新幹線で行ったくらい嫌いです。もちろん今までの人生で飛行機はおそらく100回近くすでに乗っていますが、それは必要に迫られたときで、代替案が可能な際は、絶対別の方法をとります。なんで嫌いなの?と聞かれると、なんかよくわかりません。が、嫌いなんです。好きなもんは好き、嫌いなもんは嫌い。落ちたら死ぬから嫌い。笑

あんな鋼鉄の塊がそもそも空に浮かんでる事が理解できません。爆

その代わり船は好きです。大好きです。船乗りになってもいいくらい好きです。「沈んだら死ぬよ。」って友達に言われましたが、「泳ぐ」って即答するくらい好きです。この飛行機と船に対する自分の気持ちは長らくよくわからないままになってますが、自分の前世がこの尾崎さんで、飛行機で突っ込んで死んだなら、なんとなくこの飛行機嫌いの理由もわかるな。。と、同じ名前と、日付と、飛行機というシンクロから、たまたま立ち寄った靖国神社に運命的なものを感じながら読んでいました。


前世うんぬんはさておき、また、当時の戦争の是非もさておき、自分の自己実現も、夢も、選択肢もあたえられず、国や家族、愛する人を守るために死んでいった当時の若者たち、そしてその若者たちがいたから今の、平和で、将来の夢や職業を自分で選べる、選択肢がある日本を残してもらえたことを考えると、思わず手を合わせて感謝せずにはいれませんでした。今では信じられない時代を生き抜いたおじいちゃんやおばあちゃんには本当に感謝ですね。


管理人