博多です!!博多におります!!
にしむら、博多におります!!(ひつこい)
大学1年の時に、当時猿岩石が流行っていた影響で、23日間で仙台から沖縄まで野宿しながら旅をしましたが、そのとき以来の博多なので、10年ぶりです。キオスクのお姉ちゃんに道を尋ねると、普通に
「そこはここをこう行きよると。」
おお!!な、なまってる!!!(あたりまえか。)
ちょっと感動!!テレビをつけても
「~やけん。」
「~ちゃ。」
「~しよる。」
おお!テレビやのにみんな九州弁!!!と、ちょっと当たり前のことに感動しながらすごしてました。東京にいると、標準語と関西弁しか聞かないので、特に女性が九州弁を話してるのに感動しました。普通にかわいいです。あと、地図をよくよく見ると、博多と上海の位置は、博多と東京より近いくらいです。博多と大阪よりも、博多とプサンの方がぜんっぜん近いです。博多とプサンはめっちゃ近いのに、国が違って、言語も違い、東京と博多はぜんぜん遠いのに同じ日本であることをなんとなく地図を見ながら不思議に思ったりしました。あと、中学校以来に聞いた単語「光化学スモッグ注意報」が博多のニュースでやっててこれまたびっくりしました。そんな昔の公害の時代じゃないねんから。。。と思ってよくよく見てると、要するに中国からの煙や黄砂が流れてきているとのこと。なるほど、近いもんなあと妙に納得。
仕事も無事に終えて、大宰府天満宮まで足を延ばすと、さすが沖縄が近いだけあって、高校生の時に沖縄で食べた、沖縄にしか売っていないと思っていたアイス(マンゴタンゴ)を発見!!!おおおお!!!と感動しながら上機嫌で食べる。大宰府には、屋久杉には及ばないんでしょうが、樹齢1500年とかいう、もののけ姫に出てきそうな、コケがむした見事な大樹が何本もありました。そんな大樹を見ながら、自然ってすごいなあ。。とこれまた感動。
出張ついでに大宰府に来れてることや、18歳以来10年もたったのにまた博多にこれたこと。10年経ってもまだ生きてること、今日も天気が良いことに、感謝しながら、ipodを聞きつつ上機嫌で歩いていました。少し前にも、「普通のことに感謝する」と書きましたが、最近こっているのは、「食事」にも感謝すること。以前読んだ本に、著者がお寺に行ったときのこと、こう言われたそうです。
「君が今飲んだ水は、ただの水じゃないよ」
そういわれても、コップに入っているのはただの水です。
「もう一度、味わってよーく飲んでみなさい。」
著者は言われるがままにもう一度飲みましたが、やっぱりただの水です。
「もう一度飲んでみなさい。」
半ば、からかっているのかと思ったころに、お坊さんはこう語り始めたそうです。
「君が今飲んでいるのは、ただの水じゃない。今日の水だ。お天道様から雨が降って、地面にしみこんで、何千年もの間地下にいて、たくさんの栄養を含んで、時がたち、たくさんの人の力を借りてくみ上げられて、運ばれて、今、君の手元に来たんだよ。だから、ただの水じゃない。昨日飲んだ水はもうここにはない。それは、君のために今日運ばれてきた水なんだよ。」
そう言われたそうです。そういわれてから、感謝をして、もう一度飲んでみると、なんと、本当においしく感じたそうです。
僕も、最近は、目の前に運ばれてくる食材は、対価を払ってると言ってしまえばしまいですが、わざわざ店員の人が作ってくれたもの、食材をわざわざ運んできてくれた人、食材を育ててくれた人、太陽をいっぱい浴びて育ってくれた野菜、お米を育ててくれたお百姓さん、今まで生きてきたのに一度の食事の為に殺されてしまった豚さんや魚、牛さん。それをはぐくんでくれた水や太陽、地球。ここに至るまでに運ばれてきたさまざまな食材のストーリーを考えると、おのずと感謝せざるを得ない気持ちになって食べるようにしています。そうすると、確かにおいしいです。
経済大国の日本は今でこそお金でものが買えていますが、食物の高騰や、各国の輸出規制、地球規模の地震や災害、中国やインドの人口爆発、地球温暖化が今後も続くようであれば、10年後、20年後には、お金を払ってももう食料を売ってくれなくなる時代がいつ来ないとも限りません。そうなると、食料自給率の低い日本で今のような食事や生活をすることはまず不可能でしょう。水不足ですでにオーストラリアのメルボルンでは断水が続き、シャワーを使う時間が限られたりしていますが、普通に暖かいシャワーを毎朝浴びれることも感謝です。地震で生き埋めなんかになった日には、どんなにシャワーを浴びたくても浴びれません。今普通だと思っていることが、いつか普通ではなくなる日が来る可能性を考えて、今普通だと思っていることに感謝の気持ちをいつでも持っていたいなと思います。
管理人