僕が音楽と出会ったキッカケは
X japanさんのHIDEさんが亡くなった時。

その頃僕は母の強迫性障害と闘っている真っ只中で、TVのニュースでその存在を知りました。

その半年位前に、母が紅白歌合戦でX japanさんのforever loveと言う曲を聴いて、感動したと言っていたのを後から思い出したんですが、ニュースで流れるHIDEさんの告別式を見て、この人はどんな人だったんだろうと、凄く興味が湧きました。


でもその頃は家から一歩も出れない状態で、情報源はTVしかありませんでした。

その貴重なTVをビデオに録画して、
何回も見たのを覚えています。


1997年の年末のラストライブのドキュメンタリー番組を録画して
家族で見て感動しました。

それが音楽と出会ったキッカケです。

なので僕は母が居なければ、そして母の病気がなければ音楽に出会っていないかも知れませんね。

そう言う事が人生には沢山あると思っていて、たった今目の前にある苦難がなければ明日の自分はないし、沢山の喜びに気付けないかも知れません。

そう思う事で今を強く生きられる
そう思います。

今苦しんでいる方に何もしてあげられないけれど、音楽を通じて誰かに出会うことで、僕も変わる事が出来るし、
もしかすると誰かの気持ちを救えるかも知れない。

僕がX japanさんに出逢った時の様に。

父方のおばあちゃんと暮らしていた僕の家に、アメリカから母が帰って来て数日が経ちました。

母と離れていた時の僕の話や、
アメリカでの生活、色々な話をしました。

僕の兄も東京から帰って来ていたので、久々の家族の再会でとても嬉しかったのを覚えています。

母の元から離れ、
児童施設で暮らし成長した僕を見せたくてギターを弾いて見せたり、沢山の思い出を語り合ったり、、
兄も東京での話やアメリカの話もしてました。

少し経ってから
その当時付き合っていた僕の彼女を紹介したのがキッカケで、
母の僕に対する気持ちが変わったんです。
僕が昔とは変わってしまった、もう思っていた息子ではないと毎日の様に言い合いが絶えませんでした。

早朝から仕事をしていた僕は
夜帰って来てはちょっとした事で言い合いになり朝まで言い合いをして、そのまま仕事へ行ったり、遅刻する日もありました。

僕は母と分かり合いたいし、
母の病気が良くなって欲しいと
今まで真剣に考えてきて
言い合いをしている事自体、本当に虚しくなりました。


正直に言うと、、

僕の事も含め家族が
バラバラになってしまって、
弟は長い間牢獄の様な施設に入って居て
そんな状況で僕は母に対して
初めて思った事がありました。

それは、
現実をもっとしっかり
見て欲しいという事です。

僕達は小さな頃から
自分では選べない道を歩んできました。

その事さえ市役所だとか
誰かの責任だと言っている母が、
信じられなくなったのです。

強迫性障害と言う病気の母と、
症状が出ていないときの普通の母。

もう僕が感じる事や、想い、感情、全てが何が正しいのかもわからなくなったし、この先どうしていいのかもわからなくなりました。


そんな時、彼女に変化が出てきました。

続く、、、
祖母が倒れ入院してしまい、
僕はバラバラになっている家族の中で唯一祖母の近くに居たので、良く病院に通いました。

心筋梗塞なので、
すぐにパイパス手術をしないと
いけなくなり、僕はその手術を見守りました。

若い頃に祖母は
母の為と生活の為にスナックを1人で経営していました。

タバコも吸うので、
体はお酒とタバコで完全にダメになってしまったんです。


そして、手術は無事成功しました。

でもかなり危ない状態だったので、僕はアメリカに居る母に連絡を入れ、早く帰ってきた方が良いと強く言いました。


そして、そこから数ヶ月して祖母は退院しました。

退院してから
僕は祖母の家に通って炊事や洗濯をしていました。

その頃母がアメリカから
帰って来る事になり、関西国際空港まで迎えに行きました。

久しぶりの母との再会を僕は心から喜ぶ事が出来ませんでした。

追記でも書きましたが、その頃
僕達は本当に苦しかったので、
アメリカへ行っていた母の事や、別の女性と家庭を築いている父に腹が立っていました。


病気の母に対して、
普通の子供の気持ちをぶつけたり、母に対して求めていた部分があったと思います、、、

母が帰って来て、しばらくは僕と一緒に暮らす事になりました。

そこからまた絶望的な生活が
始まったんです、、、


続く、、、