ついに家族が本当にバラバラになってしまって、
僕と弟は右も左もわからぬまま
別々の施設で暮らしていました。

前回の続きをお話しますね。

~母の後を追って
兄がアメリカへ~

ほぼ無一文な状態で兄がアメリカへ旅立ちました。

アメリカへ着くと、
行く当てがない為ホームレスとしてロサンゼルスのメルローズの近くで居たそうです。

しばらくすると
働く代わりにホステルに済ませてもらえる様になり、
何とか住む場所が見つかったそうですが、、、

兄が母と再会した時には
母には恋人が出来ていて、
兄は安心したそうです。

兄は元々画家になる事を夢見ていて、ロサンゼルスのストリートでずっと絵を描いていたそうです。

その頃にかなり危ない経験もしています。

兄がストリートで絵を描いていると、薬物依存者が拳銃で脅し
クスリと金を出せと頭に銃口を突きつけられたそうです。

後から聞くと沢山死を覚悟する時があったそうです。

生きる為には何でもしたと
話していました、、

働きながら、タバコ盗んではそれを売って母の生活を支えていたそうです。

逮捕された事もあるそうです、、


続く、、
母は僕たちが施設に入った後、
すぐにアメリカへ行きました。

かなり不自然な話ですが、、、


僕たちが母と共に暮らしている時代に、母は小説家になる事が夢だと良く話していました。

アメリカの方が強迫性障害の方が多く、理解してくれる人が多いと言う理由から、アメリカで小説を書きたいと言う事でした。

そして、子供達が施設に入った時に覚悟が出来たそうです。

僕らは、ご飯も1人で食べれなかった位病状が悪かった母が
良く決断したなぁと嬉しかったのを覚えています。


母がアメリカに行く前日に
僕と弟が入っていた一時保護所に訪ねていたそうです。

後から知らされました。

その頃は、僕たちと母が会わない方がいいと市役所の方達が判断していたそうです。

そして僕たちにお守りとして、XJAPANさんの写真を貼り付けた
カードケースを置いて行ったそうです。

退所する時に渡され、泣いてしまったのを覚えています。

母がアメリカに行った後、住んでいた散らかったままの家を
残された兄1人が引越しセンターに頼んで共に片付けたそうです。

その荷物の量は4トントラック5台分もあったそうで、かかった費用は40万円と言う多大な出費だったそうです。

そのあと母がアメリカから
兄に電話をして、1人ではやっていけないからお前も来てくれと言ったんです。

そうして、兄も飛行機代と、少しの荷物だけを持ってアメリカへ行きました。

その頃僕と弟は別の施設に
入れられ、引き裂かれていました。

兄と母のアメリカでの生活の事は次回お話しますね。


続く、、、

まずはミクロンことあやのちん!誕生日おめでとう!

そして一緒に出演して頂いた方々、あの日共に時間を過ごした来場された方々に感謝いたします!

本当に楽しく貴重な時間を過ごせました。

ありがとうございます。


あの日の僕の目標は
「格好を付けている僕をぶっ壊してしまえ」
だったんですが、達成出来ました。

あと、人の目を見て歌う事。

もちろん精一杯やる事であやのちんを祝えるとも思っていました。

どんな状況だとしても
自分なりに精一杯やり切ろうと考えていたので、ライブを終えた後、達成感がありました。

普段練習している歌うことや
恥ずかしさや、未熟な自分を人前で見せる事を恐れていた僕は
本当にダサかったと思います。

弱さも含め全て見てもらおうと
思いました。

カッコつけるとか、
偽りの自分が少なくとも今まではあったんですね。

仮面を外しました。

なので、今までの真っ黒の衣装は辞めました。

本当の自分で歌えたと思います。

へたくそでも音が悪くても、
誰かに伝わればそれは目的を達成出来ている。
そう思います。


これからも信念を持って、
いつも優しい気持ちで生きて行きたいです。

皆様よろしくお願い致します。