プラトンは師であるソクラテスの「絶対なる善は存在するのだ」と言う事を説明するためにイデア論を展開したのです。そのプラトンのイデア論とは・・・「プラトン思想の中核となる言葉で、不完全な現実の世界に対して、完全で真実である世界をイデアといい、プラトンによればそれは実存するのだ、という。実際の人が見ている現実は、イデア界の影にすぎないのだ、という。このプラトンの考えは、師のソクラテスから引き継いだ、ソフィストたちの相対主義的思想を克服して絶対的な真理の探究をめざすものであった。またプラトンは善や美などの抽象的な価値も、現実界のそれは不完全なものであるのに対し、イデア界にその真実の価値があると説く。」とあります。

イデア論とは、私たちの目の前に見えているものはすべて本物の姿ではなく、どこかに完全なる姿が存在しているんだ、という考え方です。彼は「理想、イデア」と「現実」を分けて考えました。

 

確かにプラトンのイデアと言う考え方は素晴らしいものなのですが、プラトンは少し考え違いをしているのです。本当のイデアとは理想ではなく本質だと言う事です。

私は絶対善、つまり善のイデアを見つけましたので、イデアと言うものがよく理解できたのです。例えばデカルトの「我思うゆえに我在り」は人間のイデアを示しているのだと分かりました。その人間のイデアとは「思いがある=理性=論理的思考」と言う事です。人間のイデアは論理的思考と言う事ですが、ではそれは人間の理想なのでしょうか。いやそうではなく人間のイデアは人間と言う言葉の本質なのです。人間と言う言葉の本質とは「そのイデア」があるから人間と言えて「そのイデア」が無ければ人間とは言えないものなのです。つまり「人間のイデア=論理的思考」があるから人間と言えるのです。このようにイデアとは理想と言うよりもその言葉の本質を言うのです。また三角形のイデアは「内角の和が180度」です。それではそれが三角形の理想を示しているのでしょうか。いやそうではなく三角形のイデアとは三角形の本質を示しているのです。

 

プラトンがイデアを完全なる理想としたために理想の国家を創るためには優れた男女を選択し結婚させようと考えたり、哲人と言う一部の優れた知識人が政治を行うべきだと考え、それらから派生した思想が優生思想や全体主義となって後々の世界に大きな禍根を残したのです。

プラトンがイデアとは理想ではなく、ただの言葉の本質であると理解していればやがて絶対善も発見していたかもしれません。そうなればみんなに関する問題は「一番みんなの為になる答え」をみんなで話し合って決めればよいのだと言う本当の民主主義のあり方を世界に示すこともできたのです。

 

絶対善とは「みんなの為=みんなの安心・幸せ」なのです。この「みんなの安心・幸せ」に合致する答こそが常に正しい答えと言えるのです。ゆえに正しい事さえやっていれば私たち国民は幸せになれるのです。そして絶対善を極めれば世界に平和が訪れるのです。要するにソクラテスの目指した「絶対なる善=絶対善」を発見さえすればプラトンの言うイデアの意味などどうでもいい事なのです。