人間は考える葦なんて言うが、よく自分も考えてしまうよな。
昔、図書館で、「考えない世界」という絵本を読んだ。精神性があるような感じで、シンプルだが奥深いテーマでインパクトがあった。
自分も考えて痛々しい精神性が、内面にあるんだなあ!
少し先輩や友人と会話していて、ふと考えたのは、隣の庭はよく見えるだったかなそんなことを考えた。お互いにみな生活状況はそれぞれだ。でも良し悪しで違いを羨望の眼差しを向けてしまったり、向けられたり、になった。
まあよくあることだが、それでも平気というか、今は悲観的にはならない。昔は、絶望を感じてた。高校時代の教師が発して初めて隣の庭はよく見えるもんだという言葉自体も知り、他校の学校生活と比べてよく思えることをそういうことだと思い込まされたような気がして、みんな大変だ。自分だけとか自分の高校だけってわけではないんだ。と思い、どこにも救いなんてないし、大変だ苦しいということから逃げられないんだ。と絶望したもんだ。
自分の気質もあるかもしれないが、あの頃あの時自分は毎日登校が続けられずに中退に至ったことを思いだした。
あれからいろいろあって、今は今なりにいろいろあるけど、救いはあって逃げ方も掴んだ自分が、平気にたもてているんだろう。
今の自分と妻に感謝。何事もなく普通にもう眠り、朝になれば、普通に起きてコーヒーを飲めるのだから。
昔、図書館で、「考えない世界」という絵本を読んだ。精神性があるような感じで、シンプルだが奥深いテーマでインパクトがあった。
自分も考えて痛々しい精神性が、内面にあるんだなあ!
少し先輩や友人と会話していて、ふと考えたのは、隣の庭はよく見えるだったかなそんなことを考えた。お互いにみな生活状況はそれぞれだ。でも良し悪しで違いを羨望の眼差しを向けてしまったり、向けられたり、になった。
まあよくあることだが、それでも平気というか、今は悲観的にはならない。昔は、絶望を感じてた。高校時代の教師が発して初めて隣の庭はよく見えるもんだという言葉自体も知り、他校の学校生活と比べてよく思えることをそういうことだと思い込まされたような気がして、みんな大変だ。自分だけとか自分の高校だけってわけではないんだ。と思い、どこにも救いなんてないし、大変だ苦しいということから逃げられないんだ。と絶望したもんだ。
自分の気質もあるかもしれないが、あの頃あの時自分は毎日登校が続けられずに中退に至ったことを思いだした。
あれからいろいろあって、今は今なりにいろいろあるけど、救いはあって逃げ方も掴んだ自分が、平気にたもてているんだろう。
今の自分と妻に感謝。何事もなく普通にもう眠り、朝になれば、普通に起きてコーヒーを飲めるのだから。
