人間は考える葦なんて言うが、よく自分も考えてしまうよな。

昔、図書館で、「考えない世界」という絵本を読んだ。精神性があるような感じで、シンプルだが奥深いテーマでインパクトがあった。

自分も考えて痛々しい精神性が、内面にあるんだなあ!

少し先輩や友人と会話していて、ふと考えたのは、隣の庭はよく見えるだったかなそんなことを考えた。お互いにみな生活状況はそれぞれだ。でも良し悪しで違いを羨望の眼差しを向けてしまったり、向けられたり、になった。

まあよくあることだが、それでも平気というか、今は悲観的にはならない。昔は、絶望を感じてた。高校時代の教師が発して初めて隣の庭はよく見えるもんだという言葉自体も知り、他校の学校生活と比べてよく思えることをそういうことだと思い込まされたような気がして、みんな大変だ。自分だけとか自分の高校だけってわけではないんだ。と思い、どこにも救いなんてないし、大変だ苦しいということから逃げられないんだ。と絶望したもんだ。
自分の気質もあるかもしれないが、あの頃あの時自分は毎日登校が続けられずに中退に至ったことを思いだした。

あれからいろいろあって、今は今なりにいろいろあるけど、救いはあって逃げ方も掴んだ自分が、平気にたもてているんだろう。

今の自分と妻に感謝。何事もなく普通にもう眠り、朝になれば、普通に起きてコーヒーを飲めるのだから。ニコニコ
なんか気持ちがストーンと沈む。重い。

独り立ちしてから今もそうだが、わりと料理や洗濯といった家事全般をやるようになってからは毎年この梅雨は強敵だ。

後に控えてる夏も苦手だが、これはなんとかならないかと悩む。

気候の違う国や地域にこの期間だけ生活できたらなぁ。

そんなことはできるはずもなく、生活する。

一番は洗濯を干したり布団を干したりが出来ないのがあるんだろう。

体調も雨に生気を流されていくように、ドヨーンとくる。

今年も対策を考えてるうちに、梅雨はすぎ来年に持ち込むだけだな。

恋愛から始まり、事件に発展してニュース沙汰。

こんな感じでは、世界に愛と平和を願うどころではない。

身近にいる人に愛が不安定。それがバランスを崩し狂気の沙汰に発展する。

こんな感じでは、世界情勢も治まるわけがない。

話しを飛躍しすぎだが、恋愛はきちんと当事者でけりつけようよ。
ニュースでも知人の聞いた恋愛のゴタゴタも。

適度な距離感と妥協はお互いに必要でしょ。

自分と同じ価値観とか求めてもなんでもさ、ないから。譲歩する犠牲を払って相手を必要な人で、愛してるなら、成り立たないでしょ。

恋愛も修羅場をくぐらないとなぁ、そんなに生易しく軽く考えていてはいけない。

逆に言えば相手を守るほどの気持ちが自分を強く成長するんだ。

それじゃなきゃ、おままごとして大人に憧れてる幼子のように、恋愛に憧れているだけのガキだ。