東京都にガレキ受け入れに対する抗議と苦情があって都知事がそれを批判というニュース記事をみた。


ニュース記事の分類としては社会ニュースに入る記事だ。

震災で義援金は凄い集まった。しかし、その心中はいかなるものだったか?と思わせてしまった。

義援金に限らずボランティアや支援や有名人による奉仕活動や自衛隊や消防庁やらみんな助け合いのある社会なんだ。と感動するし、さらにその気持ちが広がる輪ができ絆が生まれた。
大きな視野で見るだけでなく身近であるところでも震災の地震発生時は近所でも固まって対応協議と状況把握と情報収集を役割分担をしてしていた。

しかし、ガレキ受け入れを東京都に抗議・苦情した人は結局自分の生活安定度をまず最優先している。ある程度なら、大丈夫だから、奉仕・義援出来る。なのにガレキが地域て受け入れてはタマラナイという抗議・苦情連隊は、それによる地域の生活安定度がさがるから、嫌なのだろう。

都知事の批判に同調するわけではないが、抗議・苦情連合隊こそ東京都いや日本列島を離れ、安全な大陸探しの旅に出ればいい。

安全でも豊さは環境や状況ではなく心の中に育まれていてこそですから。

忘れてしまってはいけないこと!
今日は雨だし、外出せず、部屋で過ごした。

基本的には規則正しくしているから、食事も朝、昼、晩、昼寝はあまりしない。

ある程度の家事も妻と分担してやるから、直ぐ終わる。

だから、時間があまる。とりあえず漫画を読んだ。漫画はもう手元には数少なくなっている。

映画は以前より観てない。
お気に入りの「幸福な食卓」を久しぶりに観た。

家族とは、家族の崩壊とは、家族の役割とは、なんて難しくも考えさせられたりする。

この作品は図書館でなんとなく借りた本の映画化されたもの。タイミングがよく読み終わりすぐ映画化された。不思議な気もする。
おまけに言うとその頃は実家には住んでいなく、絶縁確定した時だ。

家族のテーマを家族と絶縁した時に観た。

でも良い作品で、またいつか何気に観ているだろう。

漫画は高橋ひろし作品を観た。

なんにもないが、漫画と映画ともに楽しめた1日だった。素晴らしい、何故なら同じことをしたとしても楽しめない日もあるんだから、自分の調子だったりも関係しているだろうし、状況も絡んで、なにをしても楽しめない日あるんだから感謝しなければいけない。
民主党の若手議員離党、チルドレンですかね。

チルドレンが親元離れるのは、成長の証?自立?

実際の自分は大人しい幼児だったらしい。

しかし、社交性はいまでこそだが、幼稚園を引っ越しをしたわけではないのに二回変わった。つまり三ヶ所の幼稚園に席を置いた。問題を犯した、いられなくなったから、変わらざるを得なかった。

小学生になると野球チームを3チームに席を置いた。これには、詳しくふれないが、ダメダメは成長せず、さらには一人で過ごす学校があって、放課後リトルリーグの練習をもくもくと泥まみれになってやった。
すると、健強な人間になって、小学生の卒業式には高校生に見られる程だった。

しかししかし、中学生時代はだんだん壊れてきた。同級生もなにかしらのおかしさヤバさを感じていたそうだ。

高校については前に書いたかな?

成長したり疲れたりも波のある人生グラフができそうだ。

人は完成しない。完璧もない。強くもない。弱くもない。ただ唯一演じていることが、巧すぎる。腹のなか何か隠して墓場まで持っていく。それで保てているとなんなく生きている。