佐賀県の脊振(せふり)神社の下宮のことを知ったのはこちらの本。

 

 

佐賀の神社が、どうして東京の本に?!と見た時ビックリでした。

そして「私が一番聞きたかった情報だ〜!」と。

最近読み直して発見しました。

 

出版された時ももちろん読んでいたはずなのですが、

その時はまだ白ヘビさんへの興味がそこまでなかったので

スルーしてしまっていたのでしょうね。

 

『ごほうび参拝』に、

見えない世界のことは意識しないといけない、

もらおうとしなければ多くを得られない、

とあったのですが、本当にその通りだなあ!と実感しました。

(この時は温泉のパワーについて、でしたが)

 

 

 

佐賀の、山の中の神社ですので、

夫に車で連れて行ってもらいました。

 

 

 

大きな木がたくさんあります。

 

階段の左右に大きな木が2本づつあるなんて、スゴイです!

 

 

(その2本の木をアップしたもの)

 

 

 

階段を登って

 

 

 

 

 

識子さんはそこまで脊振神社のことを詳しく書かれていませんので(東京の神社仏閣の紹介の本ですから)

詳しくはわからないのですが、白ヘビさんがいらっしゃるとのことだったので行くことを決めました。

 

 

東京のある神社がこの脊振神社と似ているとのこと、

脊振神社も同じようなシステム?!なんだろうな〜と思いましたが、

こちらの神社の「この場所がこう」などの説明は本にはありませんので、

これから先は私が感じたことだけ、を書きます〜。

(識子さんのブログには脊振神社は紹介されていないようでした)

 

 

 

白ヘビさんはどこにいるのかな〜

お金を洗うようなところはないよな〜と

境内を散策。

 

 

本殿拝殿の横を通って右へ上がっていく階段がありました。

少しですが雪が残っています!ビックリです!

雪が積もったのは一週間くらい前だったですが。

この辺りはずっと寒いんですね〜。

 

 

思ったよりも広い境内で、奥の方の、登ったところに白蛇神がありました。

 

 

 

 

行く途中に見える木が大きくて見惚れてしまいました。

何本もあります。

 

 

 

 

白ヘビさんは、もしくは池のところ?と、

ウロウロしました。

 

 

池の奥にはお不動さんが。

 

 

 

日当たりがいいので気持ちいいです。

 

 

 

脊振神社へ行くのは、白ヘビさんのことも楽しみでしたが、

識子さんの本『ごりやく歳時記』に

立春にやることが紹介されていて(帯にも書かれていますね♪)

今年ぜひやってみよう!と実行したのでした。

 

「新しい財布を神社で下ろすと金運アップ」です。

 

 

二日前に急に思い立ち、財布を買いに行き、

今日神社へ行こうと決めました。

どこの神社にしようかな〜と思いましたが

思い切って初参拝の脊振神社にしました。

 

 

 

行く途中、有料道路を通ったのですが、ETCが使えない場所だったので

夫が「お金ある?」と聞いてきたのでヤバイ!!と思いました。

非常用の千円札は別のポーチに持っていたのですが……と一瞬悩み、

夫に「神社で初めて財布を使いたいから、有料道路代出せる?」と聞くと

「現金あるよ」というので「お願い、取り敢えず出してて」と言いました。

こういうこともあるのですね〜💦

(確か識子さんはブログで当日の電車代についても詳しく教えてくださっていましたね)

焦りましたが、大丈夫でした。

 

無事に神社に着いてよかったです。

 

 

脊振神社(下宮)空気が澄んで気持ちの良い神社でした。

識子さんの紹介される神社の雰囲気が

なんとなくわかってきたような気がします。

 

 

 

 

お昼はこちらへ移動。

 

バイキングレストラン農(みのり)へ♪

 

 

 

野菜たっぷりでどれも美味しかったです。

 

久しぶりに夫とのランチでした。

 

 

 

 

 

昨年2022年の、識子さんの縁起物カレンダーをバラして改めて見ていたら、

最初のページの日枝神社のきつねさんの写真がとってもいいなあ〜と思い、

それだけ独立して飾ってみました。

 

 

 

 

以前見ていただいた、

縁起物のパッチワークは、ついに完成?!しました。

 

実は、以前の縁起物の写真は軽い気持ちで作り

「よろしければ見てみてください」といったものだったので、

よーくご覧になった方はお気づきと思いますが、

矢印の部分は写真を重ねていて縁起物の全体は見えませんし、

マルで囲んだところは、スペースがありました。

 

 

まさか反響があるとは思っていなかったのでビックリでしたが、

いつか欠けている部分をなんとかしたいなあ〜と思っていました。

 

 

 

昨年出版された識子さんの星占いの文庫を読み、

「カレンダーで紹介されている写真は、

各星座の『運気サポートアイテム』がたくさん使われているんだ!」

と思いました。

 

私は招き猫、子どもは恵比寿さんです。

 

 

 

こちらの恵比寿さんの絵馬の写真を子どもにあげよう、と思いチョキチョキ。

 

 

すると、下の大天狗さんと右の写真が残りました。

 

この大天狗さんの写真がちょうどいい良い大きさ♪と思い、

縁起物の写真に追加しました。

 

 

 

なんとなく、赤系がいいかなあ〜と思っていたので、

バッチリでした。

 

 

ちなみに、写真が重なっているところはそのままで。

 

 

パッチワークをしていると、

色の配置や、色の大きさ(幅)は結構重要で

このあたりのこの色をたくさんがいいのか、ちょっとでいいのか、があるので

そのままでいいや、と判断。

(パッチワークと縁起物が一緒かどうか、わかりませんが〜😅)

 

 

 

 

その他。

 

 

博多座には

葛飾北斎の絵が缶になって(中にエビのおせんべいがはいっている)売られています。

まあまあ大きいサイズです。

そして缶なので丈夫です。

博多座のシールが貼っているので、どうなのかな〜と思いつつ、

私にとって博多座はパワースポットなのでそのままにしています。

(はがそうと思えばいつでもはがせますし)

 

 

置き場所は、去年のミスタードーナツの福袋(福箱?!)の箱に。

ピカチュウたちのイラストが描いてあって、可愛いからそのままにしていましたが

一年経ち「ここにも縁起物の写真を」と貼ってみました。

 

 

 

(我が家のもう一つの縁起物コーナーです)

 

 

 

 

 

 

 

縁起物カレンダーの招き猫が多くて

ありがたいです!

 

 

(コクヨの「ひっつきむし」という壁にピンの穴を開けずに貼れる商品があります。

結構ザラザラの壁でも使えるのでおすすめです)

 

 

 

まだまだカレンダー写真はありますから

他のアイデアも探しています♪

 

そのお友達との出会いは、今から20年前。

 

私の子が2歳で、障がいを告知され、

障がいの重さから母子通園の施設に通ったほうがいいという

「措置」が出て(昔はそうだったの)入った園に、

お友達とそのお子さんが通っていた。

 

 

ちなみに障がいの告知は、がんの告知と似ているというが

本当にその通りで、子どもに障がいがあると言われると

目の前が真っ白になる。

未来が無い……気分になる。はじめは。

その後そうじゃない、と気づいていく。

 

 

子どもの学校が違ったので、お友達とは時々ランチして情報交換などしていた。

(彼女のお子さんは支援学校だったので、福祉の情報や講演会情報だったりと、

支援学級より情報が豊富だったのでいつも教えてもらう事が多かった!)

 

 

「私ね子どもに◯ねって言ってる」(……よくネット等で書かれる感じで書きますね。わかりますか?)

ある日のランチでお友達はそう言った。

 

一瞬どう反応したらいいの…と思ったが、

「あ〜それ、私の母が同居の姑によく言ってたやつ〜〜!」と大笑いしてみた。

「私の子どもの前でも言うんですよね、

だから子どもも聞いてるんだから言わないで〜!ってよく言ってたんですよ〜」

 

ランチにはもう一人いたから、

その人も何か言われてたと思う。……が、私の記憶はそれ以降無い。

 

 

私は、母が言っている姿が嫌だったし、

言われているお友達のお子さんの顔も浮かんで、そういう言葉を親に言われ続けるのはつらいだろうなあ…

と思ってしまって(疎まれていた自分とも重なりなおさら)

この話題は早く終わって欲しいな、と言う気持ちだった。

 

 

 

ランチしてから、この時の会話が頭から離れなくなって、

「あの時私はなんと反応したら良かったんだろう?」と思い続けた。

 

 

そこで、ある先輩にメールで相談。

すぐに「会ってお話ししよう」と言ってもらえた。

 

 

 

先輩からは、

・ネガティブなことを正直に人に言えている時点でまず安心。

人に言えるのは、まだ心にゆとりがある。

 

・心配なのは、言えない人、あるべき姿にとらわれている人、良い母などの理想像が壊せない人

→誰かにさらけだせるとよいが……(そういう人がいるかどうか聞いてみる)

 

・ただ、そういうこと(子どもにあたる)は、言い始めると歯止めがきかなくなる。

子が変わるわけではないので。進んで行く。

→話を聞いてくれる人、おうちの様子をみてくれる人がいるか、が大切。

「どう?一緒に探してくれる人(考えてくれる人)いる?」

 

・子どもとは事実そういう関係なのだから、(子どもが)入所して、離れたところから愛情を注いでもいい、と。

 

そして、「人間関係は急に壊れることがあるから。気をつけて」と教えてもらった。

 

 

 

実際に2年ほど連絡は途絶えた。

が、コロナ禍になって、

久しぶりにお友達から連絡をもらいランチに行き、

今では半年に一度ほど会うように。

 

 

 

 

障がいのある子を育てるのは大変。

 

お世話の手間や工夫が、より必要だから。

じっとできない子ならどこかに飛び出してしまわないようにと見張っていないといけないし(うちも一回あってすごくヒヤッとしたことがある)

怪我しないように、

変なものを口に入れないように、

食事もお皿を投げないように、

他の人に危害を加えないか……と

たくさんの心配事がある。

 

それでいて、たくさん手間をかけても、ちっともなついてくれない。

「ありがとう」もいわない(言えない)

感覚過敏の子は触られるのがいやだから、抱っこしようと思ってもひょいと逃げていく。

 

 

私の子でいうなら、絵本を読んであげようとして、膝の上に座らせようとしてもじっとできないということもあって逃げて行っていた。

子どもなのに絵本がイヤなの?普通好きじゃないの??!と障がいがわかる前は子どもを責めていたが、理由がわかると、ひょいと逃げて行った先の壁から半分くらい顔を出して、絵本を遠くから見ているのはわかった。

親子の絵本タイムというにはあまりにも距離がありすぎるが、でもその距離が本人にとって心地よい距離なので、それでいいのだ。

 

こんなふうに、障がいのある子を育てるとは、

「子どもとはこうあるべき」「絵本を読むとはこうあるべき」という姿にとらわれず、

自分の価値観を広げてくれる体験ではあるが……

 

 

でも、切ない。

永遠の片想い、

着てはもらえぬセーターを寒さこらえて編んでいるような、

ファンクラブに入ってお手紙を書くけど決して返事はもらえない、

ような気分。

と私は思っている。

 

 

たくさんの愛情を送っても、

本人にとって「良い」ことでばければ受け取らない、

イヤと言う、逃げる、投げる。

 

そのかわり本人の「良い・好き」にフィットしたら、それはもう本人も喜ぶのでこちらも「やったー!これね!」と嬉しくなる。

こういう子は正直なので、逆にわかりやすいのが安心。

 

 

でも、たいていのことは、

「どう?通じてるのかな〜〜?」と思うし、

返事がないので、

こちらとしては不安いっぱい。

 

 

障がいのある子の子育ては、返事のこないラブレターを書き続けるようなもの。

障がいの程度が重ければ重いほど、その切なさは大きくなると思う。

 

 

お友達のお子さんは重い自閉症なので切ないだろうなあ〜と思う。

今まで見えないところでの苦労もたくさんあっただろう。

 

 

 

 

自閉症の人は「これしか食べない!」と決めている人がいて、

その商品が廃盤になったらどうしよう、

災害に遭って避難する時どうしよう……と思っている保護者も多い。

 

ランチの最後にスーパーに寄って帰ることが多いので、お友達のお子さんの今の流行りを聞くことがある。

「今うちの子、これにハマってるのよ〜。これ、このスーパーに置いてるのよね」

飲み物だったり、パンのジャムだったり。

 

自分で買い物に行くのが難しい人が多いので、

普通の人がよくお店で新しい商品を見つけて「お、これ買ってみよう」なんてことができないから、

お友達は、食卓に今ハマっているものを出しつつ、新しいものも混ぜて置いて、

そこで手に取れるようにしているんだと思う。

で、子どもさんが手にとって「うまー!」となったら、「よし♪」と

次はそれを買ってくる……を繰り返しているのだと。

そうやって、色々なものを食べる機会を増やして、変化の練習をしているのだと思う。

(そういうところはお友達は教えてくれないの。良いことをしてるってことは)

 

十分なビックラブだと思うが、

子どもさんからの返事(ラブレター)はこない……

(食べてくれるのは嬉しいけど)

 

いや、こちらが思っているような反応が返ってこないだけで、

お子さん本人にしたら、何か発しているのかもしれないが。

 

 

20年経ち、そしてこれからも続いて行く……

 

 

見返りを求めない(返ってこない)

心の修行のようだ。

 

 

 

思春期になって子が離れていく時のせつなさ…があるが、

それが生まれた時からある、と思ってもらえればイメージが近い?のかも。

 

 

 

 

 

 

お友達は、お子さんが小学生の頃から

「高等部を卒業したら入所施設へと思っている。

途中まで親と住んでて急に施設入所となって混乱する人が多いと聞くから、学校卒業後は入所を考えている」

と言っていた。

 

当時まだ一年生だったから、

そうか〜確かに自閉症の人は変更が苦手だからなあ……でも、子どもと離れるのは寂しいなあ……

と思ったものだった。

 

実際高等部卒業後の入所の施設は決まっていたのに、

卒業5ヶ月前に「やっぱりうちでは無理です」と言われて慌てて次の施設を探していた。

お友達もそこに入るように、長年色々と根回し(短期入所等行ってお泊りの練習)されていたのに……

もうちょっと早く言って欲しかったね……次を探す時間がもっとあったら……

結局卒業後、入所施設は見つからなかったので、現在生活介護に通所している。

 

 

 

私は、通所がいいのか、入所がいいのか、わからなかったので、

先輩から「離れた場所から愛情を注いでもいい」と教えてもらえたのは

お友達のおかげと思う。

そうでなければ、なかなか連絡できない先輩だったので。

 

 

(ちなみに、後日読んだ“愚痴の聞き方”の本で

「自分の気持ちとその愚痴を関係させないこと」

「愚痴の対象になっている人をかばわない」

「親身になって聞く」

「聞き流す(話しを切り替える)」

とあって、あちゃー私全然できてなかった〜😅ごめんね〜友よ〜と思った。

「誰とでも対等な人は正論は言わないし否定もしない、ただ受け入れるだけ」

「話を聞き出したら自分の思いは相手が聞くまで胸にしまっておく」

「相手の話す内容に賛成しているということではなく、相手の言ったことは相手の考えていることとして認める」も覚えておこう!)

 

 

 

 

子どもが小さい頃、障がいのある子を授かったということで

「周りの人に「あなたは神様に選ばれたのよ」と言われるのはいやなのよね。」

とお友達は言っていた。

 

 

確かに、神様は選ばない。

自分で選んで生まれてくる。

子どもと約束していたのかもしれない。

何かを学ぶために。

人によって人生の課題のチェックシートは違うから。

(識子さんの本より)

 

 

 

だからみんな、少しでも良い方に進みますように、と願う。

お子さんに良いご縁がありますように。

 

 

 

かなしいとき 「だいじょうぶだよ」って いってくれる

おともだちが そばにいますように

 

「おかあさんはね」という絵本の1ページ

 

 

 

 

 

病気(乳がん)になって、一年前に手術をしました(片方を全摘)

最初は自分で傷口を見るのも怖かったです。

 

「傷口を見るのはね、勇気よ!」と

入院中に出会った乳がんの先輩から言われて、

そうか〜!みんなやっぱり怖いんだ!とわかったので

逆に力が抜けて、入院中のシャワーで初めて自分の傷口を見てみました。

といっても、あの頃は痛みが続いていたので

(何もしなかったら10の痛みを、痛み止めの薬をもらって痛みが6くらいになる、という感じ)

こんな感じじゃ痛いよな〜と納得したものです。

 

 

先日病院の定期受診で

「一年経ちますので傷口を見せてもらっていいですか?」

と言われました。

去年4月に先生が異動されて、新しい先生(女性)になりました。

「寒い時期に手術されたんですね〜」と言われた時に、

あ〜なんか寄り添ってもらっているようなその一言がありがたいなあ〜とじんわり思いました。そして、

「傷口きれいですね〜」と言われました。

「自分じゃどんなものか、わからないので、きれいって言ってもらえて嬉しいです」

と言いました。

こんなやり取りが好きです😊

 

 

それから、ホットフラッシュがよく出ること、

夜眠れないことをお伝えして、

漢方薬を試してみることになりました。

初漢方薬なので好奇心があって楽しみなのですが

匂いやじんわり効くのがどれ程なのか(個人差もあるでしょうから)

さあ、私はどっちだろう〜?という気持ちもあります。

 

 

 

 

手術してから「もう温泉の大浴場には行けないな……」と思っていました。

私は傷口を見られるのは、そこまで抵抗がないかなとは思っているのですが、

周りの人がビックリするかな?と思って

遠慮した方がいいかなあ…と思っていました。

 

 

 

お友達がよく家族風呂に行く、という話は聞いていました。

彼女のお子さんは重い自閉症の女の子なのですが、

小さい頃から親子3人であちこちの家族風呂に行っていると聞いていて

「楽しんでるね〜!」と思っていました。

 

 

私も温泉は大好きで、子どもの頃からよく家族で別府などに行っていましたので

温泉には行きたいです。

今の私だったら家族風呂なら入れる!と思い、夫に何ヶ所か連れて行ってもらいました。

 

 

そこで家族風呂も色々あることがわかりました。

基本的に家族風呂に入る時間は1時間と決められています。

 

 

・家族風呂と大浴場の利用は別々。

(ここは大浴場利用の時はロッカーの鍵をもらわないと利用できない)

 

・平日は家族風呂のみ、土日は大浴場もある、というところや

 

・入浴料と家族風呂料が別だが、家族風呂利用後に大浴場も利用できるところも!

(ここは大浴場のロッカーは好きな場所を使っていいの)

 

などなど……

 

 

家族風呂はなんと言っても自分達以外人がいませんから

私のような人は、自宅のお風呂のようで完全にリラックスできます。

髪の毛や体も洗えます。

そして自宅のお風呂より大きな浴槽なので最高です!

 

 

ネットの記事等で乳がんの患者さんも大浴場へトライしていると知り

最近私も家族風呂に慣れてきたし、そろそろ大浴場もトライしてみようかしら?!

コロナ前はよくスーパー銭湯にも行っていたし!と思えてきました。

 

 

 

そこで、大浴場デビューしてみました。

家族風呂利用後に大浴場も入れるところで。

 

 

家族風呂で髪を洗ったので、大浴場では入るだけでOK。

入るまではタオルをかけていられますが、

お湯に入る瞬間……が大事な一瞬です。

(と、出る瞬間!)

 

 

平日の午前中、人が少ない時間だったのもあって、

脱衣場は私しかいなかったのでラッキーでした。

 

でも、どことなく、ドキドキしながら脱いで

浴室へ。

 

先程家族風呂でしっかり温まっていたので、

すぐに露天風呂に入ろう!と外へ。

(いつもだったら、しっかり温まらないと寒くて外には行けませんから)

 

露天風呂に入るとき、出る人とすれ違いました。

 

そして、私一人っきりになりました!!

 

 

もう見ることはできないだろうなあ……と思っていた風景が見れて、じ〜んと感動しました。

「露天風呂にいるんだなあ〜〜」と。

 

 

しばらくして、一人入ってきました。

いい感じでお互い距離を保っている(視線も)ので

快適でした。

 

 

今までは気にならなかったのですが、

病気になってから、逆に人の胸につい目が行ってしまうようになってしまいました。

あ〜ちゃんと2つだ〜と。

 

今までも、きっと乳がんの手術を受けた人も温泉に入っていたでしょうが

私は気づいたことはなかったです。

これが視点が変わるということなのでしょうね。

(犬を飼いだしたら、街に犬がいっぱいいることに気づく、等)

 

 

 

露天風呂から上がって、服を着る時。

2人いたのですが、背中を向けていればそこまで違和感なく着替えることができる、とわかりました。

 

ちなみに、私はタオルで体は拭きません。乾くまで待つ派です。数年前にTwitterで見てから続けています。肌の水分の量が違って調子が良いからです。髪はタオルで拭きますが。

 

この日ももちろん自然乾燥で。温泉でしっかり温まっていると、すぐに水分は蒸発します。

なので、お湯から上がって、すぐに化粧水を体全体につけます。

その状態で自然乾燥させます。

ある程度乾いたら保湿クリームを塗ります。

 

このいつものルーティーンも出来て、大満足でお風呂から上がってきました。

服も着て、夫と待ち合わせしているところにいったら、

夫の方が先に出てきていました。

「いや〜〜すっごく良かったからずっと入ってて遅くなっちゃた〜」

 

 

 

この成功体験は自信になりました♪

 

 

そこで昨日、子どもが小さい頃によく行った実家近くのスーパー銭湯へ。

夫は仕事だったので、長男次男と3人で行きました。

こちらのスーパー銭湯は家族風呂は無く、大浴場オンリーです。

だからちょっとドキドキでしたが……トライしてみたのです。

 

 

子どもたちは当時小学生くらいだったので、もう10年ぶりです。

前は体も小さかったですが、今では大人ですから、色々と思うところもあったのではないでしょうか。

 

 

私も同じく久しぶりでしたが、昔と全く変わらないお店を見て嬉しかったです。

泡の湯に入ると、より気を使わずに入れるようで、よかった〜と思いました。

 

 

こちらもロッカーは好きな場所を選べるので、

なるべく人がいないところ……

ロッカーの鍵が残っているところは人がいないから……

鍵がないのは、今浴室にいる証拠。何分前くらいに入ったのか??

うーーん、とロッカーの数字を見て悩んでも、答えは出ないのですが😆

色々推理?!して、「ここだ!」という場所を選びました。

自分で選ぶから、どんな結果でも満足です♪

 

 

私が上がってきたら、ちょうど私のロッカーの真上を使って今から入ろうとする方がいたので

すぐに行かずにちょっと鏡のところなどで時間調整?!しました(ほんの数十秒くらいですが😆)

その方が今、浴室に行かれたのだから、しばらくは戻らないだろう♪とわかったので、

服を着るのにちょっと余裕ができました。

 

 

 

 

 

せっかく実家方面に行くから……と、

先に墓参りに行きました。

私の実家は霊園にお墓があり、

識子さんが色々なお墓(供養)の在り方を解説してもらっていたことを思い出しました。

小さな頃から行っていたお墓です、

「あれ、ここにお墓あったのに…」

お墓が更地(と言っていいのか?)になって「売り出し中」の看板が立っているところもありました。

 

 

 

お墓に私は、識子さんのCDと、持ち運びが気軽にできる音楽プレイヤーを持って行きました。電池で動くものです。

(このプレイヤーはラジオも聴けるのです。去年、ソフトバンクホークスがこの試合で優勝が決まるかも!という試合なのにテレビ中継がなかったので、次男と一緒に必死にラジオで聴いていた時に大活躍したものです。災害があった時にも使える!と購入しました。一番の使用目的は、この識子さんのCDかけるようですが♪)

そして、般若心経をかけてみました。

お墓に持って行ったのは初です。

 

 

子どもたちも「お墓でお経が聞けるなんて、納骨以来やな〜」と言っていたので

父や母や祖母も喜んでくれたかも!と思いました。

風が強くて、線香が一本途中で消えていたので、長男がマッチで火をつけ直してとしていたので

3回般若心経を流せました。

 

 

 

(その後昼食を食べて温泉に入って帰ったのでした♪)

 

 

 

ある家族風呂の写真

自分でお湯をはるところから体験できます

 

 

 

これからも家族風呂、大浴場、

色々と行ってみよう♪

 

雪が降った翌日、

筥崎宮へ行きました。

 

 

 

放生会や蚤の市で賑わう参道で

寒い中猫ちゃんがおすわりしていました。

写真を撮らせて〜と言ったら近づいて来ました。

猫を飼ったことのない私はどうしたらいいか毎回軽くパニックになるのですが

勇気を出して体を触らせて貰いました。

しばらく触らせてもらったら、獲物が見えたのか、ひょいっと行ってしまいました。

 

 

 

 

 

 

筥崎宮のお金を洗うところです。

鳩が水を飲んでいました。

 

それから進んで楼門へ。

 

 

 

雪がうっすら残っていて良い風情です。

 

あちこち溶けずに残っています。

それくらい、まだ気温は低かったです。

(屋根からポタポタと水が落ちてきますが、キラキラしていました)

 

 

東末社から見た本殿。

回廊の屋根にまだ雪がしっかり残っていて白くてきれいでした。

 

 

まるで、鳥の羽のような雪の残り方が素敵でした。

 

 

絵馬を見るのも楽しみの一つです。

 

鳩みくじで当たる絵馬(招き猫の飾りがついている)もあったりと、

普通だったら見れない絵馬をこうやって飾ってくれる方がいらっしゃるから

見ることができるのでありがたいです。

 

 

 

この日は、雪が降った翌日だし、ぼたんが綺麗だろうな〜と思い来ました。

筥崎宮花庭園は季節によって色々な花が咲いているので、時々行きます。

 

 

受付の方に

「昨日の雪でぼたんがダメージを受けてしまっているので無料でお入りください」

と言われました。

 

え〜申し訳ない…と思いつつ、入らせてもらいました。

(受付にはぼたんの写真が売っていたので一枚購入しました)

 

 

 

 

境内にある看板の写真のように、

雪の中にぼたんが健気に咲いている、のを見るのに良い日と思ったのですが。

 

 

10年に一度の寒い日だったので、

ぼたんもダウンしてしまったのですね。

 

たしかに、花も葉っぱもしおしお〜としていました。

 

 

 

鳥の足跡も。ほっこりします

 

 

 

色々と工夫されたディスプレイもあるのですが、

なんと枡の水、凍ったままです💦

それほど寒いんですね〜

福岡でここまでは、やっぱりなかなかないです。

 

 

花瓶の水も凍っています。

すごいです。

 

 

そして、感動したのはこちら!

 

 

こちら吊るされた花瓶なのですが、

凍ったことで水が膨張し、花瓶が割れてしまっています!

なのに、中の水は溶けずにそのままの形を保っています。

 

例年でしたら、雪の日の次の日はわりと気温が上がるのですが、

この日は寒いままなのでした。

さすが10年に一度の寒さです。

 

 

花瓶のアップです。

 

中に紅葉が一枚入っているのが粋で素敵です。

 

でも、完全にカチコチに凍っているのではなく、

ぷくぷくと音がしていました。

これも感動です。

 

 

 

 

 

ぼたん以外もあって、

きれいなお花に癒されました。

 

 

 

ぼたんたち、

どうか復活しますように〜〜🙏

 

 

 

そして良いものを見せていただきました♪

 

先日スーパーで見た

サバイバル弁当

 

 

 

 

サバをしっかり食べて体力をつけよう🎵

周りにサバイバルが集まってきています😆

 

 

 

 

 

キャナルシティという商業施設があって、

毎日1時間に一回噴水のショーがあります。

 

キャナル=運河だそうで、

水が常に流れています。

(夏は小さなお子さんの水遊びスポットになっているようです)

 

 

噴水ショーは、一回一回曲が違って

音楽に合わせて噴水の出方が違うので見ていて感動します。

 

その日通った時にちょうどのタイミングで見れたショーで

「オブラディ オブラダ」がかかっていました。

 

 

音楽に合わせてなんとなく頭の中に歌詞が流れます。

「オブラディ オブラダ ライフゴーズオン」

 

 

「ライフゴーズオン」にピンときて

ネットで歌詞を検索しました。

 

 

色々な解説を見て

「オブラディ オブラダ」は

「ケセラセラ」的なものかな?と思いました。

 

そして意味が、「life goes on 人生は続く」

 

 

そう、人生は続くんだよな〜〜と噴水の前でしみじみ思いました。

life goes on も良い言葉だなあ〜と。

本を読んで、色々と広がってきています。

 

 

 

 

 

 

ミュージカルエリザベートを観に行ったのですが、

まさしく家の伝説で苦しんでいた人たち、で観ていて面白かったです。

 

 

何年か前に見た時は、エリザベートやルドルフと同化して一緒に涙したものですが、

今回は一歩後ろから、ほうほう、という感じで見ている感じ。

 

 

自分は後悔しないように、出来ることはしたいなあ〜と

エリザベートと息子の関係を見ていて思うのです。

(子どもが小さい頃に見ていて良かった)

 

ミュージカルを観るとやっぱりパワーをもらえます🎵

 

 

 

 

 

 

 

私がTwitterでよく見る方のツイート。

 

ここにある「お世話になった人」と「許せない奴」が同じ人、ということも人生にはあると思っています。

どっちも「自分が幸せになること」がゴールだそうで。

こういう風に勇気づけてもらえる言葉ありがたいです。

 

 

 

無印良品の本屋さんで見かけた本!

 

招き猫=ラッキーキャット

なるほど!そういう風に言うのか!と。

 

私の運気サポートアイテムに出会えて本当にラッキー

 

 

 

 

識子さんの本『神様が教えてくれた金運のはなし』で、

早池峰神社でお金を洗って、ついている念や垢を落とす

という方法を知ってから。

 

いつかやってみたいなあ〜!

と思っていました。

 

教えていただいた早池峰神社へ行くのが一番ですが

九州からは遠く😢

 

筥崎宮には手水舎でお金を洗う場所があるのですが

白蛇と弁財天さんがいらっしゃらないので、

う〜ん……どうなのかなあ…と悩んでいました。

 

 

その他にお金を洗うことができる神社仏閣を知らず

「いつかどこかに行ってみたいなあ」と思っていました。

 

 

 

幣立神宮を私に勧めてくれた人が

「白蛇神社があるよ」と昨年末に教えてくれました。

 

ずっと前から知っている人だったので、

このタイミングでその神社を教えてもらえるんだ、

と言うのがびっくりで。

もちろんその人も神社のことを出し惜しみしていたわけではないですし、

私が「情報が欲しい!」というオーラ?気迫?!を出していたから、

教えてもらえたのだと思います。

 

 

 

そこで行ってみました。

熊本県の白蛇神社。

 

 

本物の白蛇さんがいる小屋があって、

初穂料(千円)を出して会うことができます。

(初穂料を出すと3ヶ月限定のおふだと、蛇さんの写真を貰えます)

 

 

識子さんが教えてくださった神社とは違う場所ですが、

やり方は真似させてもらい、お金を洗ってみました。

 

 

どういう風になるか、楽しみです〜❤️

 

 

洗ったお金は

家の縁起物コーナーに飾っています😊

(識子さんがそう書かれていましたので真似してみました)

 

 

 

熊本の幣立神宮へ行きました。

 

 

 

7、8年前、子どもが中学生の頃、二度ほど行ったことがあります。

熊本の地震の前でした。

 

幣立神宮へ行くと人生が変わるよ!とオススメされたのです。

 

 

一年前くらいに識子さんがブログで紹介されていたので、

お〜!いつかまた行ってみたい!!と思い、実現しました。

 

お正月の雰囲気がまだありました。

いつも明るく賑やかな感じがする神社です。

 

 

前に来た時にはなかった小屋もあったり、

 

トイレがキレイになっていました。

木のいい匂いがしていました。

 

 

 

 

建物の中、扉のところに神職さんがいらっしゃって

一人一人に幣&鈴でささ〜っっと祓ってくださっていました。

歓迎されているようで嬉しかったです。

(その後祈祷が始まったので神職さんは中に行かれたので、タイミングが良ければこうやって祓っていただけるんだなあ〜とわかりました)

 

 

 

 

 

 

病気になりませんように〜🙏とお願いしました。

 

 

車に乗ったら、私の靴に棒が刺さっているようだったのでびっくりして取ると、

靴の底の溝に棒がちょうど入っているようでした。

刺さっていなくてよかった〜💦

と、よく見るとハリガネのように見えて、ますます刺さらなくて良かった💦と思ったのですが、この棒は木のようでした。

でも、見かけがハリガネっぽかったので💦

というか、こんな木があるの??と不思議に思ったので、持って帰らせてもらいました。

 

 

時が来れば見れることができるだろうな、

と思って、ずっと見ていなかった作品。

スタジオジブリの『思い出のマーニー』

 

 

(公開されている絵を使わせてもらっています〜ありがとうございます)

 

 

 

今読んでる本『心の傷の癒しと成長』そのもの!と思う。

 

グリーフワークだったり、

家族の伝説だったり。

 

(でも小さな頃の杏奈が、おばあちゃんから聴いていたのは良い伝説もあったと思う☺️)

 

 

 

マーニーの家は機能不全家族だし、

主人公杏奈は里親さんの元で生活している。

一般的な人よりちょっハードな人生のスタートで大変だろうな、と思う。

 

 

 

その杏奈が一番言いたかったこと。(悩んでいたこと)

 

里親さんがお金(里親手当)を貰っている、ということ。

 

そして物語の最後に「お金もらっても、貰っていなくてもあなたは大事な子よ」と里親さんに言われる。

 

 

キノコのシーンで、杏奈がお金のことをマーニーに言う。

これぞグリーフワークだと思う。

嫌なこと、どう思っているかを口にちゃんと出す。

(本当は自分の中での会話だっただろうけど)

人に言えず、ずっと自分の中であたためていたようなことを。

 

 

 

このシーンを見てつい

「普通の子も児童手当っていうのがあってね、親の所得に応じてお金を自治体から貰っている家庭もあるよ。

うちは次男が知的障がいが中度だったから、特別児童手当というものも貰っていたよ。

(障がいの重さで金額が違うの)」

と思った。

 

 

が、子どもからしたら、

自分とお金の話題はセンシティブで大事なんだろうな。

 

 

まあ私も子どもの頃に「お父さんが出産費用はお前が出せって言ったんよ」と母に聞かされ育ったから、自分にまつわるお金に敏感になる気持ちもわかるかな。

私はお金がないと不安になる。不安を通り越して落ち着いていられず、自分に価値がないように感じていた。いつも多めの現金を手元に持っていた。……今の世の中はキャッシュレス化が進んでいるけど、私はまだ現金派。一部キャッシュレスにしつつあるけれど。(ポイントのために!)

 

 

 

 

こういったことを「秘密」にしない、ほうがいいんだろうな。

機能不全家族には「秘密」がつきもの、と、『共依存かもしれない』という本にもあった。

 

「マーニー」では、最後里親さん(お母さん)が伝えていたから良かったね。

 

 

生きていれば言いにくいこともあるだろうけど、言おう。

心でぶつかって欲しい!という杏奈の気持ちが叶ったのだろう。

ようやく家族になれる準備ができたんだろうな。と思った。

 

 

 

 

大人からみたら、大丈夫だよって思うことでも、

子どもが不安なら一緒になって「そうだね」と言ってその感覚を味わう。

その上で、大丈夫だよ、と支えてあげれるといいよね。

(「お金を貰うことは恥ずかしいことじゃないんだよ〜」と言ってあげるなど)

色々なことを知っているのは良いことだと思う。

 

 

 

ある勉強会で知った話。

朝日新聞の「私の折々のことばコンテスト」2017で

朝日新聞社賞に選ばれたMさん(社会的養護のお子さんのいる施設の利用者さん)

 

施設の先生に言われた

「これだけは覚えとって。

Mがここにおるってことは

Mの親がMに生きてほしいって

思ったから」

 

施設にいることは、悲しいこと?

世間の人はそう思うかもしれないけど、

でも普通(常識?!)と思っていたことが

そうじゃない、と、違いに気づいた時。

人は次に進める。

 

(ノートにこのように書いていました。)

 

この変換が、ポジティブコノテーション、リフレーミングだと思う。

 

 

 

 

本を読んだ後にマーニーをテレビで見ることができてよかった。

以前の自分よりもう一回り大きな感想を持つことができたかもしれないから。

 

 

 

自分へ……と書いています。

 

 

不思議な経緯で出会った本『斎藤学 講演集3 心の傷と癒しと成長』斎藤学先生。

 

「サバイバーとスライバー」という文章を読みたくて図書館で借りてきました。

お目当ての文章は『心の傷の癒しと成長』の第3章にありました。

 

 

第1章と第2章はどうしようかな〜とパラリとページをめくり、最初に書かれている文でわかりました。私にとって良い本だと。

そこで、始めから読みました。

 

 

私がビビビときたのはこちらの文です。

幸いいろいろなかたちでエンパワメントされて、新しい道を歩み出す人たちが私の周囲に出てきましたので、その人たちの表現をなるべくそのままお伝えするほうがいいだろうと思います。私の頭の中にある観念的なものではなく、現実の中から取りだして示していくほうがわかりやすいでしょうし、実際の話からもってくるのですから、事実の裏づけを提示でき、話に説得力をもたせやすいと思います。」

 

 

講演集とあって、全て話し言葉で書かれています。

まずこれがいいのだと思います。

まるで私もその講演会の席に座って、話を聞いているようです。

1996年からあった講演会です。

20年以上経った今の私でも、まるでリアルタイムで聴いているようです。

本当に素晴らしいです。

 

 

本にちょこちょこ書かれてあるのですが、「参加の仕方」について、ご紹介しておいた方がいいと思い書きます。

(私が勝手に「参加の仕方」と名づけています)

私も時々セラピーなどを受けた方がいいのだろうか?と真剣に思っていたこともあったので、本でこうやって教えてもらえて良かったと思っています。

 

セラピーのようなところに行ってみようかな。と思ったらけれども、恐いと思ったらやめておけばいい。でも行こうと思う時には自分の中にそういう力が出てきているわけです。それをパワーといいます。私はできる、私には能力があるという感覚は、自分のことを喋れるという時に一番発揮されます。自分を肯定する気になっていないと、そうがいかないのです」

「自分のことを話すのに、そんなに焦らなくてもいい。話せなければまわりで見ればいい。ただし一生懸命に聞くこと。グリーフワークに参加するのは恐いと思ったら、もっと大きな会場で開かれる今日のような講演会に来て、後ろの方に座って聞いていればいい。とにかくまずは聞く。聞くことのほうが、しゃべるよりずっと大事です。」

「自分が恐がっている時は無理にさせません。グリーフワークのセッションよりも講演会のほうが安全だと思ったらそうする。それもちょっとなんだかこわいと感じたら、本を読むだけにする。その時の自分の感覚をとにかく大事にすることです」

「『そういえばこんなことが』と明瞭に出てくることは、グループなどで人の話を聞くことによってしか起こりません。ただ、この『人の話』とは、誰かが口でしゃべったことだけを指すのではなく、活字も『人の話』です。そんなわけで、私の本を読んだために落ち着かなくなってしまったとおっしゃる人が大勢押し寄せてきて、いま困っています。何か変なことを思い出させてしまったようです。これはアンカバリング、カバーをはぐ仕事が起こってしまっているわけです。」

「本を読むだけではなく、たくさんのなみだと回想の話を直接聞いた場合は、もっとはっきりしたアンカバリングが起こります。グループワークでみんなの話を聞いているうちに、先ほどの『銭湯で服を着ている』ような居心地の悪い気持ちがしてきて、いつのまにか背広を脱いで裸になって、みんなと同じくそこで感情を表現している自分を発見します。」

 

本を読みつつ、「そう言えば、私の過去でこういう事があった!」とポンと思い出すことがたくさんありました。これが起こるのだと思います。その思い出が良くないものだったら、嫌な気持ちも一緒に出てくるでしょうから嫌でしょうね。

私は、こういうトラウマに効くという神田橋條治先生の気功「指いい子」や焼酎風呂で邪気を払うをこまめにしているので、思い出すこともあるのですが、ちょっと邪気が取れたような思い出になっているので、そこまで苦しくないのですが、でもやっぱり嫌な思い出が出てくるのは嫌な気持ちになりますね。

 

だから、本を読むとそういう反応が出ることもある、と知っておくことも必要かな、と思います。

 

 

 

 

「家の伝説」

第1章の最初の実例(といっても個人を特定されないよう十分に配慮された話ですが)が、すごくおすすめです。

一族には暗い過去の伝説があって、みゃくみゃくと受け継がれているのです。

世間から見れば小さな旅館の息子にすぎないけれども、この一家にとってみればこれは王国です。この王国の伝説や神話の中で彼は育っていて、この神話や伝説がX君にそんなセリフを吐かせるのです」

お宅の伝説は何ですかー?」と聞いたら、

平家の落人、清和源氏、どこかの大名の妾の従兄弟……そして没落、関東大震災、米騒動、戦争などなど

「この血統神話はどこへ行くのか。それは決まってそこらの人と付き合うな、などという気位の高さに行き着くのです。何だかしらないけれどもお高くとまっている人、全然根拠がないのに私はそこらの人とは違う、という」

 

「どこの家もそんなものかー!!」と私には見に覚えがありすぎて、逆に笑えて、昇華できたという感じです。

うちの伝説は「お祖父ちゃんの兄弟全員医者なのにお祖父ちゃんだけ医者にならなかった(なれなかった?)お祖父ちゃんは戦争に行き、シベリアから帰ってきたけれど病気になっていて若くして亡くなってしまった。……だから普通の家庭とは違うのだと。

一家の伝説は、暗いものが多いのだそうですが、うちもそうです😆

(医者になれなかった祖父の物語)

何となく周りから浮いていると感じていた正体が、この家の伝説でした。

伝説持ってても自分の生き方が狭まるだけだと思います。

 

 

 

S子さんの事例は、初めから流れがとてもわかりやすくてよかったです。

最初に紹介されるX君という方はまだ解決の途中話だったのですが、S子さんは回復されつつある、まで紹介されているから良いです。

 

 

万引き、不登校、お酒の人の説明が、また良かったです。

悪いこと?!と思っている人が多いと思いますが、そうではない、という説明が良いです。

ポジティブコノテーション、リフレーミングされている文ですから、読んでいると

「悪いことではない、必要があって症状は出る」と納得できるかと思います。

 

 

 

 

そして、現実(リアル)を教えてもらえた気がします。

 

例えば閉所恐怖の人の説明ですが、

人は感覚を麻痺させて、飛行機に乗ったりやトンネルに入っているのであって、

恐怖症の人の方が健康という言い方が良いです。

 

 

「憂うつ」「寂しい」も悪いことではない、と。

憂うつは、なる原因があって、その状況なら誰だって憂うつになるのは正常な反応だよ!とか、

 

寂しい、も同じです。生きていれば誰でも寂しいのだ、

寂しくていいんだ、と。

こんな風なことを学校で教えてもらったいいんじゃないかな〜!と思うのです。

 

というのも、昔私が出席した発達障がいの講演会で

「仕事とは」の解説があった時に聞きました。

 

「仕事の本質とは。仕事とは嫌なことがおこる。

腹が立つ人の相手をすること、嫌なことをすること。

だからお金をもらう(迷惑料として)。

仕事が楽しいことばかりだったら、逆にお金を払わないといけない、と。

(ディズニーランドやユニバーサルスタジオなど)

仕事の楽しさややりがいは後からやってくる。大変さを乗り越えた後に、と。」

 

発達障がいの人には本当のことを伝えるほうがいい。

暗黙の了解とかわからない人たちだから。

ということで、オブラートに包まず、本質を直球で教える、ことは大切だと思います。

 

 

 

 

あらるゆ癒しと成長は「自分を肯定すること」

と、本にありました。

以前の私だったら「肯定」出来なかったと思います。

宇多田ヒカルさんの自己肯定感とはという言葉で感じた、

「あなたの感じるままでいい」ということが、わかるようになってきました。

 

 

 

第2章はすごくおすすめです。私は全てのページをコピーしました!

 

何が問題点か、解決にはこれが必要、とシンプルに書かれているのがわかりやすいです。

そして体験談が読めるようになっています。この体験談を読むことができるのが良いことなのです。

 

 

 

第2章のメモ

アダルトチルドレンとは力を奪われた者

・力を奪われた者は、奪われた力を取り返さなければならない。

・奪われた力=自尊心

・私たちが今日1日を送ることができるのも、一年先の自分について色々と思いめぐらすことができるのも、私たちにある程度「生きている価値がある」「私はこれでいいのだ」という自尊の感情があるからです。

・この感情がなければ私たちは自分の人生を見失いますし、なんらかの過剰なかたちで力の確認をしなくてはいけなくなります。

・自分が『役に立つ子』あるいは『親にとって都合のいい子』『優秀な子』であれば自分はこの家の子どもであることが許されるという感情体験の中で育っている

・おうちが壊れないように一生懸命壁を支えるような役割りを果たしてきた子どもたち、あるいはその結果、家族の外での人間関係がわからなくなってしまったり、クラスや職場で力、自尊心がないことを見抜かれて、いじめの対象になる人たち、そういう人たちのことを、アダルトチルドレンといいます。

・この人たちは自分の中に価値を見出していないわけではないのですが、その価値はいつも「人の役に立っているか」とか「自分のやっていることが他人の要求に応分に応えているか」という深い懸念と不安の中でようやく確認されています。それはまるで毎日毎日試験を受けている生徒みたいなもので、「これでいいんだろうか。これならなんとか合格だろうか」という不安の中で毎日を暮らしています。

 

首をブンブンと上下に振りました!!

 

私があちこちで集めていた、

アダルトチルドレン、共依存、機能不全家族、

それらの答えを一つにまとめてもらっているようです。

 

 

 

第2章には、専門家に頼りすぎるなという文もあり、神田橋先生も同じようなことを言われています。

「頼るな?えー寂しい〜」と思ってしまいますが、寂しくてそれでいいんだ、と思えるのが大人。

寂しいと思っていいし、その気持ちのままいれるようにするのがわたしの目標なのです。

 

 

 

斎藤先生の元では、電話相談ということで、当事者だった人が成長されて働いている方もいるそうです。

人が恐いアダルトチルドレンなのに、

人(同じ境遇の人)からのSOSがわかるようになれば、それってスゴイと思います。

(そして体験談を人前で話してくれたりするのです。素晴らしいです)

 

 

 

成長とは静かになること。

とありました。

人に一生懸命説明しよう、しないと!と思わなくなる。

自分がいかに大変だったかを誰彼構わず言わなくていい、と。そのような状態になるということでしょうか。

必要なら話すけれど、と。

いい感じですね。

そうなれたらいいな🎵と思います。

 

 

 

私がこの本を読んで感じたのは……

 

 

人の優しさを感じたり信じたりできるようになったかも、

という実感がじんわりと出てきているなあ…という自分の変化があったり、

 

 

 

心の支えとなる言葉に出会えたこと。それは、

別の病院で精神科の病気だと診断され、落ち込んできた患者さんに対して

斉藤先生が言った言葉「象じゃないもん」

 

きのうも「治療者から『あんあた境界人格障害だ』と言われた」という人が私のところにきました。本人は「それだけは言ってほしくなかった」と泣いていました。こうやって治療者が患者をいじめているのです。患者にそんなことを言う必要はないではありませんか。だいたい「境界人格障害」なんてものが実体としてあると思うから、いじめの道具になるわけです。言われるほうも「ナニソレ」と思っていれば、何を言われてもへっちゃらです。例えば「あんたは象だ」と言われても「象じゃないもん」と思っていれば平気でしょう。精神医学的診断など、だいたいそんなものですから、あまり気にしない方がいいのです。

 

 

私の人生でも「象じゃないもん」で乗り切れることもあるかも🎵と視界が開けました。

 

 

 

 

 

 

そこで

私の目指すもの!

 

・ストーリーの組み換え「それでもどっこい生きている」

・「犠牲者の物語」→「英雄物語」

・自分の中の私を肯定できる

・そのためには傾聴の力が必要

・傾聴できるにはもう一つ別の世界を受容できるようになること

・情緒的言語で会話

・ポジティブコノテーション自分の過去の読み取り方が変わる

・自分の親友を自分の中につくる

・「よくやった私」「けっこう力を持っている私」

・回復とは生々しい日常生活の感情の波に漂うこと(悲哀、寂しさ、と同居していく)それを知って生きていく

 

 

そう、生きていくんだなあ〜と思いました。

 

サバイバーなのです😊