タイトル「ペニスバンド・ロックンロール」
我らがペニスバンド部は専用グラウンドを持っている。
そこは屋根がついていて、高そうな壷と日本人形が玄関で出迎え、靴を脱いだらまずファブリーズをぶっ掛けられる。
リビングには50インチの液晶テレビがあり、庭には二羽ニワトリがいる。
簡単に言えば、田原俊彦先輩の実家だ。
ペニスバンド公式ルールブック(全3巻、1994年、朝日新聞社)によると、プッシーアナライザーは我が家を専用グラウンドとして使用しなければならないと書かれている。
それに則り、我が龍艦砲高校は比較的裕福な家庭で育ってあんまり苦労していない田原俊彦先輩が3年連続ぶっちぎりの得票数でプッシーアナライザーのポジションを不動のものにしていた。
ちなみに玄関にある高そうな壷だが、部活中に4度程割られ、今の壷は立派な安物とのこと。
僕は素人という事で、まず最初に与えられた課題があった。
右手に5本の指がある。それを口内に突っ込み、ふやけさせるといったものだ。
素人は相当な時間を要し、ある意味では根気のいる作業ではあるが、同期の高崎はわずか2分。
吉岡に至ってはこれを得意技として応用している事もあり、わずか30秒でふやけさせるのだから驚きだ。
「指しゃぶりを制するものはO型」
このような鉄則が、ペニスバンドという競技には存在する。
本当に、奥が深い競技であると、素直に思った。
そのような具合で、僕は毎日、先輩はもちろん、同期の2人とも全く別のメニューをこなす日々が続いた。
そんなある日だった。吉岡が妊娠したのだ。
相手は岡山ベネッセフォーエブリワンズの期待の超新星・森本アストラ選手だ。
アストラ選手は日本人とポーランド人のハーフで、特Aランクの大技「愛液と言うな。マン汁と言え。」シリーズ全39種を自在に使いこなし、その無尽蔵のスタミナと遅漏具合(つーかインポ)から「アストラ」の愛称で親しまれていた。
今だから言えるが、吉岡が産み落とした4つ子は、もれなく肌の色が黒かった。
吉岡はその夜から産休を取ることになった。
そしてペニスバンドロックンロール東京都予選を2週間後に控えた練習終了後のある日、火のついた蝋燭を専用グラウンドで振り回し、田原俊彦先輩が明らかに戸惑っているのを半笑いで見ているキャプテンから、次の練習試合の相手が決まった事が発表された。
相手はペニスバンドロックンロール新人戦ベスト8で聖ヤマハ・シスターズ女子高等部に敗れた鳥取県代表のフットルース工業高校。
このチームはポリネシアンハンターを置かないオールドファンには馴染みが深く、今では滅多に見られないポジションである中央に木偶の坊が3人並ぶシャンパンファイターを中心に、両サイドルチャドールの豊富な運動量と複雑な家庭環境のネガティブ思考がカギを握る「我侭なひざ下60センチ」という超攻撃的布陣で有名。
必要以上にダーティーな攻撃(試合中にウンコをしたり、それを食べたり塗ったり墓場まで持っていくとゴネたりする)を得意としているチームでもある。
高崎は言った。
「ならばウチは、ヨーロッパスタイルのダブルポリネシアンハンターを採用しましょう」
軽く頷いたキャプテンは、その後ベンチ入りメンバー15人を発表した。
3年、2年と順当にメンバーが発表され、残るベンチ枠は2人となった時に、僕はハッとなった。
「あと、高崎とネロンガ。」
ネロンガとは僕の部内でのニックネームだ。
まぁそんな事はどうでもイイ。
何故僕が選ばれたのか。明らかに僕は技術面でベンチ入りできなかった先輩達に劣っている。
現時点でマスターした技は最下級F級ランクの「夜の経営統合」と「中出ししても大丈夫な精子」の2つだけである。
明らかにボキャブラリーでも先輩より劣っている。
「な、何故僕がベンチ入りなんですか?」
僕はキャプテンに聞いた。
キャプテンは言った。
「何を勘違いしている。今のお前はただの『イケメン』だ。あと二週間で『本当にスケベなイケメン』になるのが前提でのベンチ入りだ」
僕は酷く嫌な予感がした。
この日の夜から僕は、キャプテンの家に泊まり込み、あの山王丸の「蟻と太陽と虫眼鏡」や栗林の「洗濯屋ケンちゃん」と並ぶS級ランクの超大技である「後姿 is cute」の特訓を受けるのであった。
それから、これまで実力は超高校級と言われた杉浦先輩が、父親の課長昇進とともに一戸建ての立派な家を建てる事となり、それが完成し、明後日に引越しが決まったおかげもあって、新しい専用グラウンドがそこに決まった。
ようやく遅れてきた天才がプッシーアナライザーのポジションを奪い取り、役者は揃った。
その時田原俊彦先輩は、両手に大きなお盆を持ち、全員分のオレンジジュースを乗せたまま固まっていた。