「あんぱんまんマーチ特集1番」 | 社長という職業:平山晋太郎のブログ

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中卒・パチプロ・トラックドライバーからの社長の考え方

東京に向かい常磐道を走っていたら谷田部付近から富士山が見えました、空気が澄んでいてとても綺麗でしたね。

こんにちは、日本一の愛され社長♬平山晋太郎です。

 

 

 

皆さんもご存知のあんぱんマーチ。

 

 

 

子供の時からたくさん聞く素晴らしい歌ですよね。

 

 

 

私は少し仏教を勉強してた時があるのですが、この歌こそ仏教が伝えたいことなんじゃないか?と思うんです。

 

 

 

今回から何周かに分けて伝えていければと思います!

 

 

 

「あんぱんまんマーチ特集1番」

 

 

 

そうだ うれしいんだ

生きる よろこび

たとえ 胸の傷がいたんでも

なんのために 生まれて

なにをして 生きるのか

こたえられないなんて

そんなのは いやだ!

 

 

一番の歌詞です。

 

 

 

 

「そうだ うれしいんだ

生きる よろこび」

 

 

 

 

仏教では、まさにこの状態になる事を悟りとも言っています。

生命の大歓喜など言われています。

 

 

 

 

 

 

「生命の大歓喜」

 

私達は、生きています。

生きているからには、全ての人は、

 

「人間に生まれてきてよかった!!」

 

 

と心から叫べる、生命の歓喜を求めていると言えましょう。

 

 

 

本人が自覚しているか否かに関わらず、そういうことになります。

 

 

例えば、サッカーを続けている人がいたとしましょう。

なぜ彼は、練習が辛くても、先輩が厳しくても、サッカーを続けるのでしょうか?

 

 

それは、サッカーを続けていれば、いつか「サッカーやってきてよかった!」と思えるはずと希望を持っているからでしょう。

 

 

もし、「サッカー続けてたら絶対後悔する!」と思ったら、すぐに辞めるはずです。

 

 

 

同じように、今生きている人は、「生きていれば、きっと人間に生まれてよかった、と思える」と希望を持っているからこそ生きているのであります。もし「生きていたら必ず後悔する」と本気で思ったら、もう生きてはゆけません。

 

 

 

 

では、何がどうなったら、心から「人間に生まれてきてよかった!!」という大満足が得られるのか、果たしてハッキリしているでしょうか?

 

 

 

今から約2600年前、印度に現れたお釈迦様はこう仰っています。

 

 

「人身受け難し 今已に受く」 (華厳経)

 

 

 

人間に生まれてくるということは、大変難しい。

 

 

しかし、私は今、生まれがたい人間に生まれることができたぞ!!

 

 

という、人間に生まれてきたこと自体を喜んでいる、生命の大歓喜です。

 

 

このようなものでなければ、人生の目的とは言えないでしょう。

 

 

人間に生まれるということは如何に難しいことか。

 

 

今日、盲亀浮木の譬えと呼ばれている、 有名なお釈迦様のたとえ話があります。

 

 

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ある時、お釈迦様がお弟子の阿難に向かって尋ねられました。

「そなたは人間に生まれてきたことをどう思っているか?」

阿難は、

「はい、大変喜んでおります」

と答えました。

するとお釈迦様は

「大変喜んでいるというが、大変とはどれほどか?」

と続けて尋ねられます。

さすがの阿難も、答えに詰まってしまいました。

そこでお釈迦様は、

「では、人間に生まれてきたことがどれほど喜ぶべきことなのか、 たとえをもって教えよう」

と、次のようなたとえ話をなされました。

『太平洋のように、広い広い海の底に、 一匹の目の見えない亀が住んでいる。

この亀は、100年に一度だけ、海面に頭を出すのだ。

一方、海面には一本の丸太ん棒が浮かんでいて、

そこには、ちょうど亀の頭が入るくらいの、小さな穴があいている。

この丸太は、風のまにまに、波のまにまに、 今日は東に今日は西にと、あてもなく漂っている。

さて阿難よ、この亀が海面に頭を出したとき、 丸太の穴にひょいと頭を入れるということがあるだろうか?』

これを聞いた阿難はびっくりして、

「お釈迦様!そんなこと、とても考えられません」

と答えました。

するとお釈迦様は、

「では絶対に無いか?」

と念を押されます。

「いや、絶対無いかと言われますと、 もし亀が、何億年かける何億年、何兆年かける何兆年と、 気の遠くなるような長い間、頭を出し続けたならば、 ひょっと丸太の穴に頭を入れることがあるかもしれませんが、 無いと言っていいほど難しいことです」

「そうだろう。

ところが阿難よ、我々が人間に生まれてくるということは、 この亀が丸太の穴に頭を入れることよりも 有難いことなのだぞ」

                    引用

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「有難い」の本来の意味は、「有ることが難い」

つまり、滅多に起きないことが起きたことを表します。

それが今日、転じて感謝の意を表する言葉となったのです。

 

生きる喜びとは、有難い事。

生きる喜びとは、ありがとう。

生きる喜びとは、感謝。

 

「たとえ 胸の傷がいたんでも」

 

最初から胸に傷があるニュアンスですね。

 

と言うことは人間で生きてるって事は、その時点で胸に傷があるという事。

 

 

そうなんです、人は生まれながらに。

 

生きてるって事は苦しい事なんです。

 

その、苦しみを解くには

 

ありがとう

 

です。

 

 

有るが難しです。

 

 

たとえ胸の傷が痛んでも生きる喜びを知っていれば平気だよ。

 

 

 

こここで、この歌は特攻隊にいく弟のために歌った歌だよ!っていうのは受け付けませんw

 

 

 

 

次は

なんのために 生まれて

なにをして 生きるのか

こたえられないなんて

そんなのは いやだ!

 

をいきたいとおもいます。

 

 

お体に気をつけて元気にワクワク生きましょう!!