こんにちは、平山晋太郎です。
今日は『死』というものについて書きたいと思います。
皆さんは『死』というものをどう考えでしょうか?
私は小さい頃から、死んだらどうなるの?みたいな事をいつも考えていました。寝る前とかはよく死の恐怖でねれなくなったこともしばしば・・・
人生を生きてると、色々な事が起きます。
そして、それは過去や未来を想像して生きていったりしますね。
色々な事を、想像して生きていくのが人間です。
動物には出来ません。
動物には未来がないのです、常に今を生きています。
人間は言語があり未来を想像できてしまいます。
「アダムとイブ」
のお話に知恵の実というリンゴを食べてという話があります。
神様に「このリンゴは食べてはいけない、食べると死んでしまうぞ」と言われていたのに蛇にそそのかされて食べてしまいます。
そのリンゴは知恵の実で食べたら裸でいるのが恥ずかしくなりというお話なんですが、知恵のみによって言語を話せる知恵を持ってしまったから、未来という事を認識できるようになり、生き物は未来に死ぬんだという事を理解してしまった。
だから神様は食べると死んでしまうといったのではないかと思っています。
このように人間だけが死というものを認識しながら生きているのです。
そして、生まれたからには100%死にます。
人生で100%起こることって『死』しかないのです。
それ以外のことで100%起こることはありません。
人間は不思議なもので起こる確率が高いものに対しては以外に関心が薄いのです・・・
例えば、交通事故での死者は沢山いるのにさほど騒がれませんが、原発事故での死者の方が少ないのに、大騒ぎします。
起こる確率が低い未来の不安には人間は沢山反応します。
なのに、100%起こる死ぬことについて準備してる人は、ほとんどいないといっていいでしょう。
私は100%起こることなんだから、準備しておいてもいいと思っています。
しかし、「そんなこと考えてもしょうがない」とか言われちゃいます。
でも、考えちゃってるんです。いつもいつも。
考えてきました。
『死』って、まだ先なようで・・・
先じゃないんです。
どのくらい先じゃないかってお釈迦様がいっていたみたいです。
『呼吸の頃、これすなわち来生なり』
どういうことかというと。
お釈迦様の元に、ある人が相談しにきました。
その人は
「お釈迦様、人はいつ死ぬのでしょうか?」
と聞いたみたです。
そしたらお釈迦様は
「吸った息が吐けなかったら死ぬのだ。吐いた息が吸えなかったら死ぬのだ」
とおっしゃったそうです。
いつもいつも、当たり前にしている呼吸の一つができなくなったら死ぬというくらい『死』とは身近なんだと教えてくれるたとえ話です。
一息一息が命を繋ぐ貴重でありがたい事なんです。
『死』というものが身近であるほど、生きる事にありがたみを感じながら生きられるんじゃないでしょうか。
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2014年東京ビックサイトフォトネクストにて講演
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