HEY!HEY!HEY!

自分が高校生時代からかかさず見ていた大好きな音楽番組だった。

時は小室プロデュースムーブメント、幾多のアーティストが先生のプロデュースにより大ヒットを重ねこの番組に出演しているのをずっと羨望の眼差しで見ていた。

いつか自分も絶対にこの番組に出れるようなアーティストになる!!
ハマちゃんに突っ込まれたい!
松本さんと絡みたい!
他のアーティストさんと仲良く喋りたい!

当時ミュージシャンを志していた人なら誰もがそんな夢を抱いたことだろう。

月日はたち、20世紀もおわり21世紀が始まった。

22歳になった僕はチェンジングマイライフというユニットでEMIからデビューすることになった。

もちろんそれだけでもうれしいのだが、デビュー曲のタイミングからこのあこがれの番組ヘイヘイヘイにでれることになった。


その時の感動、そして衣装合わせ、トークネタ打ち合わせ、ツヅキスタジオでのリハーサル、当日のEMIの重役の皆様までいらっしゃる気合いの入りよう、前室の風景、浜田さんにかけられたプレッシャー、ボーカルの茫然自失っぷり、二世ネタ、音が全く入っていないギターのあてぶり、全てが手に取るように覚えてる、いつでもよみがえる。

あの時の緊張具合は憧れの番組に出れたということだけでなく、自分が本来立てないステージになぜか送り込まれたことによる分不相応感から来たのかもしれない。

しかし番組収録おわり、EMIのスタッフから

「田辺くん、ミウラジュンくんっていうフジテレビのスタッフさんが来てくれてるよ!」と声をかけられた



はて?






あー!!!!



と思いだしたのは、自分の親が友達だった鎌倉の三浦さんのところにいる僕の5つ上のお兄ちゃん、三浦淳くんだった。


おそらく十年以上ぶりの再会が、当時はデビューしたてのアーティストとヘイヘイヘイのADをやっていたという稀有な偶然に恵まれた。


その後2回、計3回ほど出演させていただき、念願のハマちゃんからのツッコミや松本さんとの掛け合いも出来た。

そして程なくアーティストとしての寿命は終わった。


それから11年



当時ADだった淳くんがHEY!HEY!HEY! 20周年大感謝祭 のチーフプロデューサーになっていた。


僕が死にたいくらいに憧れた小室先生が華々しく20周年特番でHジャングルwith tとしてハマちゃん、まっちゃんと肩を並べて歌っている。

Wow War tonightを当時の番組を彩ったメンバーとエンディングに歌うという構図。

これはうちの親の世代がかならず最後にみんなでステージで歌う坂本九ちゃんの「上を向いて歩こう」のような光景ではないか。

そんなことをチェンジマ時代からの友人ふくりゅうがヒントをくれたので文章にしてみた。

そして、小室先生のもっと評価されていい部分はやはり歌詞だろう。
カラオケで歌うとき、その年代年代でこもる感情の輪郭が違う歌になっている。

大人になった時に記憶に残る歌があるのだろうかと90年台は揶揄されたかもしれないが、僕達の世代には、まさしくWow War tonightがテーマアンセムなのだろう。

当時小室さんを嫌いな人もいっぱいいたが、15年20年たった今、やっぱりこの曲の力に屈服するしか無い。

デジタルミュージックの中のアナログなハートな部分はどんなことがあっても色褪せない。

そんなことを思い出させてくれた三浦淳くんに本当に感謝したい。

2014年のなかで最高の番組を作ってくれて本当にありがとう!


そして当時自分がこの番組の断片、欠片にでも入り込めたこと、その運命に心から感謝することを2014年の最後の日に長文投稿として記しておきたい。





げわい2014!!!