2023年12月10日(日) 晴れ
今日の大阪は良く晴れて最高気温は20℃近くまで上昇、12月とは思えない暖かさでした。
11月22日、23日に福岡県久留米市に旅行に行ったお話の続きです。前回の記事からかなり間が開いてしまいました。と言うのも・・
旅行に行く時は、ブログネタにするため写真をたくさん撮ります。今回の旅行でも、9月に購入したばかりのカメラで写真を撮っていたのですが、旅行の最後の最後で写真を記録していたSDカードを破損してしまいました。どうも、画像を削除中に電源を切ってしまったみたい・・・一番したらあかん事や・・・(´;ω;`)
撮った画像を確認しようとしたら、SDカードを認識できないとの表示が・・・。今回の旅行で撮影したほとんどの写真を失ってしまいました。
旅行から帰って色々試してみましたが、パソコンでも全くSDカードを認識できません。フォーマットさえできません。
前回のブログで紹介した『聖地』の写真は、Xにポストするためカメラからスマホに転送していたため、画質は落ちますが最低限残っていましたので、なんとか記事にできました。
でも、旅行で撮った写真のほとんどを失ってしまい、ショックで続きを書く気がなかなか起こりませんでした(´;ω;`)
さて気を取りなおし・・前回の記事では、福岡県久留米市出身の松田聖子さんゆかりの地を巡る『聖地巡礼』のお話でした。
『聖地巡礼』、タクシーやレンタカーで周れば半日もかからないので、福岡での聖子ちゃんのコンサートに参戦する前に午前中久留米で『聖地巡礼』し、午後からコンサートという事も可能かと思います。
でも、僕の場合は『聖地巡礼』以外にも、久留米市内で色々行きたい場所があったので、レンタサイクルで久留米市内をサイクリングする事にしました。
今回は、久留米市内をサイクリングして、『学生時代の思い出の場所』をたどってみました。
写真は、デジカメで撮影した画像をiPhoneに転送したものと、iPhoneで撮影したものです。
6時25分新大阪発・鹿児島中央行「さくら541号」
久留米まで直通9時23分着、所要時間は2時間58分。
久留米駅に到着してすぐ、駅構内にある「久留米市観光案内所」に行き、レンタサイクル(コミュニティサイクル「くるクル」)を借りました。1日500円。
内装3段変速のシティサイクル、意外に乗りやすかったです。
前回の記事と重複しますが、まずは『聖地巡礼』。自転車で周った順番に紹介していきます。
スタート地点はJR久留米駅前の『からくり時計』。10時の「涙のリクエスト」を聴いてから出発。
最初の目的地は『JR荒木駅』。久留米の次の駅(鹿児島本線下り(熊本方面))です。新幹線の高架に沿って行けばいいと思っていましたが、ずっと道路が並走しているわけでは無かったので、少し行ったり来たりしてしまいました。
google mapで検索したら5.3km、自転車で約23分。
(以後、距離と時間はすべてgoogle mapより)
次は、『荒木小学校』へ向かいます。と、ここで大きなトラブルが・・・。
しばらく走って、スマホで地図を確認しようとしたら、スマホが無い・・・(;´Д`)
荒木駅前で信号待ちしていた時、自転車を倒してしまったので、おそらくその時に落としたみたい。すぐさま荒木駅に戻りましたが、どこにもない・・・。ほんの5分間程度の事・・・。google mapに目的地を登録していたので、スマホの地図が無ければ身動きが取れません。いきなり大ピンチです。
駅のすぐそばに交番がありましたので、とりあえず交番に向かうと、交番の前で立っている高齢の女性と目が合いました。焦っている顔でわかったんでしょうね、「これ落とされましたか?」と、スマホを差し出してくれました。
その女性は信号の前でスマホを拾って、すぐに交番に届けようとしたらお巡りさんは留守で、交番内の電話でお巡りさんに連絡してくれていました。お巡りさんが帰ってくるのを待っていると、僕が現れたのです。良かったぁ~、本当に助かりました。ありがとうございました。程なくしてお巡りさんが帰って来たので、事情を説明して『荒木小学校』へ向かいました。
『荒木小学校』へは駅からは800m、約3分。ちょっと迷ったので、10分ぐらいかかりました。
校庭にはたくさんの児童がいます。平日の午前中ですから、もちろん授業中ですね。体育の授業かな?
う~ん、平日に『聖地巡礼』するのは失敗。望遠レンズを付けたカメラを持ったおっさんが、学校の周りをうろうろしてたらマジ不審者やん。カメラを構えるのが恐い。
ささっと写真を撮って撤退。
次は、『高良台保育園』(現・りんごの木保育園)。『荒木小学校』からは1.1km、約6分。
こちらは、園児が園庭で遊んでいる姿は見えませんでしたが、やっぱりカメラを構えるのははばかられます。通りすがりにパチリ。
次は、『荒木中学校』。保育園からは400m、約3分。
授業中だと思いますが、校庭に生徒の姿は見えませんでした。このレンガの校門は、聖子ちゃんが寄贈した校門で「寄贈 蒲池法子」と書かれたプレートがあるはずなのですが、確認するには校門の内側に入っていかなければならず、やはり不審者扱いされそうなので諦めました。
google map上では『松田聖子寄贈校門』と表示されており、「史跡」となっています。
中学校のすぐ近所に聖子ちゃんの実家だった家があって、人通りは全くなかったのですが、全く関係ない人の家なので、もちろん写真は撮りませんでした。
次は、『高良台病院』(現・高良台リハビリテーション病院)。中学校からは600m、約3分。
ここは、大きな看板がありましたので遠くから望遠で撮影。
JR久留米駅からここまでで約8.3km、迷わず写真も撮らずに走れば40分程度です。実際には、スマホを落としたり迷ったり写真を撮ったり、うろうろしていましたので、1時間40分ぐらい経過していました。
次は、『久留米信愛学院』。病院からは7km、約30分。ちょっと距離がありますが、この日の久留米の最高気温は20℃を超えており、とても天気が良く絶好のサイクリング日和、気持ちよく走れました。
のどかな田園風景が広がる道から少し走ると、大きな道路沿いでは良く知ったお店もあったりで、都会と田舎が混在しています。
向かっている途中、学校に近づいてくると制服を着た生徒と自転車ですれ違います。12時過ぎに到着しましたが、学校の前のバス停には下校する大勢の生徒が並んでいました。午前中で授業は終了?テスト日かな?
校門からは次々と生徒が出てきますので、やはりカメラを向けるのがはばかられます。今は共学校になっていますが、女子校だったら写真はあきらめていたかも。
少し離れた場所から望遠で撮影、そそくさと立ち去りました(笑)
一般的に『聖地巡礼』はあと一か所、西鉄久留米駅構内にある『甘太郎』で完了です。ちょうどお昼ごはんの時間でしたが、『久留米信愛学院』から『西鉄久留米駅』まではかなり遠いので、『甘太郎』では夕ご飯を食べることにしました。
『JR久留米駅~久留米信愛学院』15.2km 、『聖地巡礼』は一旦ここまで。
お昼ごはんを食べる場所は心当たりがあったので、このままサイクリングを続けます。以後は、『学生時代の思い出の場所』巡りです。
僕は1983年に大学に入学して久留米で一人暮らしを始めましたが、学生時代に住んでいたアパートの場所が、『久留米信愛学院』の近くなんです。
信愛学院前から1.5km、約4分走って、僕が40年前に住んでいたアパートがあった場所に到着。アパートは駐車場になっていました。
トイレ風呂炊事場共同、6畳一間の学生用アパート、家賃は月1万7千円でした。
アパートのすぐ向かいが、大学の門でした。通学時間10秒(学舎までは数分歩きます)。こちらのキャンパスは教養課程のキャンパスで、2年生の後期からはもう一つのキャンパスに通うことになったので、住んでいたのは1年間だけでした。
大家さんに連れて行ってもらった事のある、アパートのすぐ近くにある焼き鳥屋さん、営業しているかどうかはわかりませんでしたが看板と建物は残っていました。懐かしい・・。写真を撮ったのですが、SDカード破損で消失、残念。
近くにある『久留米市立南築高等学校』、元チェッカーズの藤井フミヤさんの出身高校です。チェッカーズの『聖地』かな?
さてお昼ご飯ですが、よく行っていた定食屋さんがまだ営業していました。その定食屋さんがまだある事は、google mapのストリートビューであらかじめ確認していましたので、ここでお昼ご飯を食べる事は決めていたのです。
『和食のてらさき』
19歳で初めての一人暮らし、高校生時代に友達と外食することはありましたが、一人でお店に入って夕ご飯を食べるのは初めてでした。
当時よく食べていたカツ丼を注文。40年前は380円でしたが、今は600円。そういえば、カツ丼というものを食べたのはこの店が初めてでした。懐かしい味でした。
テーブルと座敷の、ホントに昔ながらの定食屋さんですが、今でも繁盛していました。
昼食後は、西鉄久留米駅方面へ向かいます。次の目的地は、『石橋文化センター』。
住んでいたアパートから『石橋文化センター』までは、2.8km、約11分。
石橋文化センターは1956(昭和31)年に株式会社ブリヂストンの創業者である石橋正二郎・名誉市民から郷土久留米市に寄贈されました。バラやツバキなど四季折々の花が彩る広大な庭園を有し、美術館をはじめ、音楽ホールや図書館を備える総合文化施設です。花と緑にあふれた園内は、市民の憩いの場として、文化芸術の拠点として、多くの人々に親しまれています。(石橋文化センターウエブサイトより)
『石橋文化センター』
11月下旬なのに、バラの花がまだまだ見頃でした。
紅葉も見頃。
バラの香り、鮮やかな紅葉、水のせせらぎ、鳥の囀り。
素晴らしい庭園でした。
もっとたくさん写真を撮ったのですが、例のSDカード破損事件で、ほとんど失いました
(´;ω;`)
『石橋文化ホール』
座席数1077席のコンサートホール。「コンサートホールとして設計の粋を尽くし、世界的アーティストからも高い評価を得ています。」との事。
大学3年生の時、このホールでベートーベンの第九を歌いました。
『石橋文化センター』の庭園をひとしきり散策して、『西鉄久留米駅』へ。
JR久留米駅前より、西鉄久留米駅前の方が街の中心地です。百貨店(岩田屋)やホテルが立ち並んでいます。この日は西鉄久留米駅からすぐのホテルに宿泊予定です。
次に、『西鉄久留米駅』から久留米市のメインストリート「明治通り」を走って「六ツ門」の交差点へ。
「六ツ門」には僕が住んでいた頃には「井筒屋」という百貨店があったのですが、2009年に閉店し、跡地にはコンサート用ホールやコンペンション機能を併用した交流施設「久留米シティプラザ」が開設されています。
多目的ホールの『ザ・グランドホール』では、2019年3月4日に『”SEIKO JAZZ 2” CONCERT TOUR 2019』、2019年8月5日、6日に『Pre 40th Anniversary Seiko Matsuda Concert Tour 2019』が開催されています。
ここは『聖地巡礼』かな。
そして、六ツ門の交差点を右折、「櫛原バイパス通り」を北上し、大学2年生から住んでいたアパートがあった場所へ向かいます。
大学2年の後期からは専門課程となり、キャンパスが変わるので専門課程のキャンパスの近くに引っ越しました。
3畳と6畳の2間、一応台所とお風呂も付いているアパートにグレードアップ、家賃は2万8千円也。
アパートの近所には、久留米の老舗ホテル『翠香園』がありました。
この翠香園の場所は良く憶えていて、ここから住んでいたアパートへは歩いて1分ぐらいだったのですが、ちょっと記憶が曖昧・・・。
多分この場所だと思うのですが、空き地になっていました。
↓
『西鉄久留米駅』~『大学2年~住んでいたアパート』までは、2.3km、約10分。
ここから大学へ向かいます。
アパートから大学までは徒歩圏内(1.4km、自転車で約7分)でしたが、毎日原付で通っていたと記憶しています。大学の周辺は大きく変貌していましたが、正門からの景色は変わりありませんでした。懐かしかったです。
次の目的地は『久留米市役所』。市役所には特に思い出はありませんが、市役所の隣に『久留米市民会館』というホールがありました。今は取り壊されてありませんが、大学時代は男声合唱部に所属していたので、毎年そこでコンサートを開いていました。
『久留米市役所』の庁舎は、1994年に建て替えられて20階建ての立派なビルになっていました。『久留米市民会館』の跡地は、市役所の駐車場になっています。
1981年に聖子ちゃんが『久留米市民会館』でコンサートを開催したとの事ですので、一応ここも『聖地巡礼』で。
20階は喫茶室もある展望ホールになっていて、一般開放されています。開放時間は9時~18時で、16時過ぎに行くと喫茶室は閉店していました(16時まで)。ここで休憩しようと思っていましたが、残念。
多分、久留米市内で一番高い建物だと思います。(ここが建つ以前は、うちの大学が一番高かったんじゃないかな?)
久留米市内を一望出来て、写真をたくさん撮りましたが・・・SDカード破損(´;ω;`)
スマホでは撮影しませんでしたので、写真は残っていません。
さてここからは、学生時代にうろうろしていた繁華街を経て、西鉄久留米駅へ戻ります。
まずは『文化街商店街』、飲み屋さんなどがたくさん集まっている歓楽街です。昭和な感じがまだ残っていますね(笑)。
店名も場所も忘れてしまいましたが、文化街にある小さな割烹のお店が部活の行きつけのお店で、先輩や後輩たちと良く飲みに行っていました。小さな店なので僕たちが行くとほぼ貸し切り状態で、合唱部らしくみんなで歌って飲んでいました。カラオケじゃないですよ、それぞれの出身高校の校歌を歌わされるのです(笑)。
長崎県の青雲高校出身の先輩が校歌を歌おうとすると、みんなで「巨人の星」の星飛雄馬の出身高校の青雲高校の応援歌や、日本香堂のお線香「青雲」のCMソングを歌うというお決まりのパターンがありました。
次に六ツ門の交差点まで戻り、『六ツ門商店街』。
六ツ門側の入り口。左側に百貨店の「井筒屋」がありましたが、今は『久留米シティプラザ』ですね。
今は閉館している映画館の看板が残されていました。やはり昭和の雰囲気が残っています。
地方の映画館は、ロードショーを2本立てで上映しているのにびっくりした記憶があります。(値段は1本の値段ですよ。)
シネコン全盛の時代、今はそんな映画館は多分ないですよね。
反対側の入り口。このあたりの風景は少し記憶に残っていて確か、向かって右側に「想夫恋」という焼きそば屋さんがあって結構好きだったんですが、無くなっていました。
そのまま西鉄久留米駅の方向へ歩いて行くと、『一番街商店街』。
まあ、普通の商店街ですね。あんまり良く憶えていません。特に行きつけの店があったというわけでは無く・・。
ああ、そう言えば、良く行っていたオーディオショップが『六ツ門』か『一番街』のどちらかの商店街にあった気がしますが・・・店名も場所も憶えていません。
バイトで貯めたお金でステレオやCDプレーヤー、ビデオデッキを買ったのを憶えています。
西鉄久留米駅側の入り口。
商店街を出ると、西鉄久留米駅、エマックス・クルメ(駅ビル)。
西鉄バスのターミナル。いろんな方面行きのバスが出入りしています。原付を買う前は、市内の移動はバスでした。信愛学院行のバスもありますので、バスで『聖地巡礼』の際はここから。
ラッシュ時には、バス待ちの大行列となります。
駅ビル『エマックス・クルメ』の「味のタウン」に、高校生時代の聖子ちゃんが行っていた『甘太郎』。味のタウンはリニューアル工事中かな。
晩ごはんは、ここで食べました。『聖地巡礼』完了。
『エマックス・クルメ』は、僕が久留米に来た1983年に4月に「久留米西鉄名店街」を全面改装して「エマックス・クルメ」となったそうです。
僕の記憶では、もっとたくさん飲食店があって、「甘太郎」には行ったことがありませんでしたが、大阪から久留米に来たばかりで大阪が恋しかったのでしょうね、お好み焼き屋の「甲子園」という店には良く行っていました。
家で焼いたようなペッちゃんこのお好み焼きで、大阪人に言わせれば「こんなん店で食べるお好み焼きとちゃうで」といった感じのお好み焼きでしたが、なぜか癖になって良く行っていました。
今ではエマックス・クルメにはありませんが、『甲子園三代目 あつい飯 』と言うお店が、西鉄久留米駅の近くにあって、当時のお好み焼きを出している様です。
初代『甲子園』が誕生したのは1969年との事で、聖子ちゃんも食べたことがあるかも。
関西風でもなく広島風でもなく「久留米の甲子園風」お好み焼き。生地が薄い理由がウエブサイトに書いてありました。
お店の場所まで行きましたが、水曜日が定休日で閉店していました。写真はSDカード破損で×。
さて、JR久留米駅で借りた自転車は、西鉄久留米駅でも返却できます。
西鉄久留米駅前の「東町地下自転車駐車場」にレンタサイクルを返却。僕は2日間借りましたが、夜はもう乗らないのでいったん駐輪場に預かってもらいました。
『聖地巡礼』と『学生時代の思い出の場所』は一通り周りましたが、もう少し行きたい場所が残っています。頑張れば日帰りも出来たかもしれませんが、西鉄久留米駅近くの「東横イン」に宿泊しました。久々に自転車で長距離を走り、ちょっと疲れました。
天気予報を見て急遽決めた旅なので、行き当たりばったり。ほとんど目的の場所は初日で周れましたので、”2日目はどうしよう?”と観光案内所でもらった地図(くるめよかとこマップ)で作戦を練りました。
そして、筑後川沿いの『水天宮』、『梅林寺』、『久留米城跡』を周って、河川敷の『筑後川サイクリングロード』を走り、最終目的地は「久留米大橋」を渡って国道3号線沿いのラーメン店『丸星ラーメン』に行く事にしました。
つづく。
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