私は、現代社会ほど「神」が必要とされている時代も少ないのじゃないかなぁと思います。

いつの時代でも、戦地に赴く時や、大災害に出会ったり、病気などで死が目の前に迫っている状況では、誰もが神に祈るのではないでしょうか?

宗教はアヘンだと言う人がいますけれど、本当に自らの死を目の前にした時、同じ事を言えるのか? 疑問です。

人は、自分の能力をはるかに超えた事象に出会った時、神や仏を意識せざるを得ないと思います。

高度に発達した現代社会にあって、限界まで働かざるを得ない私たちの心身にはいろいろな無理、ひどい場合は病気がでています。それでもなお、社会の進歩に対応して能力を開発しなければならないのが現実です。

私たちは意識するしないに関わらず、限界に向き合わされているのかもしれません。だから、当然そこに神という問題が出て来ると思うのです。

もちろん、特定のアレを拝め、これを拝めと言っているわけではありません。

大自然の摂理を見直すべき時期にきてるなーと思うのです

たとえば、蝶の羽ばたきのような小さな事象が、嵐のような事象と結び合っていることを知ること。

この一見関係なさそうなこのつながりを、しっかり観ることが「現代の神」を知る一歩の様な気がします。
宇宙と蝶
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