おはようございます。

みそひともじに真実の命を吹き込む、歌人のトリです(わが庵の軒のつばくろ巣を見上げ汁に仕立てて食わんとぞ思う)。

 

先日、いつもお参りしている近所の神社へ行ってみると、何かのお祭りだろうか、各拝殿の前にお神酒やお餅、果物などがお供えされていて、本殿の前に人々が蝟集し、祝詞をあげる声が聞こえていた。

人々の邪魔にならないようにお参りを済ませて、帰ろうとしたとき、祝詞が終わり、吟詠の会の人が、和歌の奉納を始めた。

女性の声で、「明治天皇御製」と聞こえた。

 

【あさみどり すみわたりたる大空の 清きを己が心ともがな】

 

音吐朗々たる、立派な節回しで二度、御製が詠み上げられた。

その、青空のように澄み切った声に、しばし聞き入っていたが、ふと疑問が生じた。

「あさみどり、って何色だろうか」

 

あさみどりは、どう考えても「緑」だろう。

よって「すみわたりたる大空」が緑色というのはおかしくないだろうか。

明治時代の人の目には、空が緑に見えていた、とは思いにくい。

 

「あさみどり」は「浅緑」で、若葉のような薄い緑色、というのがその色の説明である。

広辞苑を見ると、「うすい緑色、または、うすいもえぎ色。また、空色」と出ている。

「また、空色」と、とってつけたように、ライトブルーを示唆しているが、うすい緑色並びにもえぎ色との関係がよく分からない。

 

どういうことなんだろうかと思いながら、ちょうどその「あさみどり」に澄み渡った空を見上げていると、ふと「孤帆の遠影碧空に尽き」という詩句を思い出した。

そうか李白か。

「黄鶴楼に孟浩然の広陵にゆくを送る」詩である。

 

故人西の方黄鶴楼を辞し

煙花三月揚州に下る

孤帆の遠影碧空に尽き

唯見る長江の天際に流るるを

 

明治帝は、この詩を踏まえて、澄み渡る大空を「あさみどり」と詠まれたに違いない。

地平線の向こうへと、どこまでも流れ下って行く長江と、天地を二分する碧玉の色をした大空と。

この雄渾な眺めを、己の心の在り方としたい、というのである。

 

まことに、結構なことです。

かくありたいと、自分でも思いながら帰路についたというお話でした。


※その日の神社の空の色。