立春 無用庵茶話0205 | 宇則齋志林

宇則齋志林

トリの優雅な日常

おはようございます。

時空間を操る、陰陽師のトリです(いつでもどこでも寝られる、というだけです)。

 

いつのまにか、立春を過ぎていた(昨日が立春だった)。

今年の旧正月は、2月10日だから、「年の内にぞ春は来にけり」ということになる。

冬の土用も終り、さあ、これから暴飲暴食してやるぞ、と思っている人も多いことだろう(いないか、そんな奴)。

 

ところで、気になるのは暦のことである。

現在使われている「天保暦」は、1840年代に作られたもので、実際に運用されていたのは明治維新までの約30年間であるが、これが今でも「旧暦」として使われている。

今、手元にある「月の満ち欠けカレンダー」も、この天保暦を基にして作られている。

 

ところが、日本近世史家の猫子さんによると、現在の「旧暦」が、あと少し経つとずれてきて、使えなくなるというのだ。

これまでにも、大衍暦、宣明暦、貞享暦・・・と、たびたび改暦が行われてきたのは、天文現象と暦がずれてくるからである。

ついでにいうと、中国などの暦を日本で運用しようとした場合にも、地理的な要因で齟齬が生じる。

 

だから、早く改暦しなくてはならないのであるが、前出の猫子さんによれば、旧暦を作れる専門家がいないのだそうな。

天文学者でも、片手間に作るというわけにはいかないそうで、だから昔は「暦博士」というような専門職を置いていた。

今使われている「グレゴリオ暦」が、未来永劫使えるかどうかもよくわからない。

 

天文現象は、自然であり、自然は刻々と変化するからである。

懐疑派のデビット・ヒュームなんか、「太陽が東からのぼって西に沈む」ことさえ「偶然」だ、というのだから、いつ何時、北半球と南半球が入れ替わらないとも限らない(唯一の「必然」は、すべてが「偶然」だということだけだと、カンタン・メイヤスーも言っている)。

そうなってくると、暦なども根本的に作り直さざるを得なくなるだろう。

 

年が明けると、昔は「謹賀新年、改暦のご祝儀、めでたく申しおさめ候」などとご挨拶していたものだが、それがあと数十年もしたら、「改暦のご祝儀」(暦を作り替えるのではなく、旧暦のカレンダーを今年のものに取り換える、という意味)が言えなくなるかと思うと、寂しい限りである。

もっとも、それまで自分が生きているという保証は、無論ないが。


※江戸時代の古文書(ちょっと何書いてるか分からない)。