年の瀬に思う 空心齋閑話1227 | 宇則齋志林

宇則齋志林

トリの優雅な日常

おはようございます。

物事の本質の本質をさらに掘り下げて熟考する、エッセンシャル志向哲学者のトリです(掘り下げすぎて、地上に出られなくなりました)。

 

気がつけば、もう暮れも押し詰まってきている。

つい先日、新年のあいさつをしたと思っていたのに、光陰矢の如し。

と、多くの人が感じていることだろう。

道を歩けば、吹きさらしの中、街頭募金を呼び掛けている人たちがいる。

 

そこを素通りしながら思う。

今年も、昼寝ばかりしていて、人の役に立たなかった。

しかし、同時にこうも思う。

なぜ、人の役に立たなくてはならないのか。

 

辻信一『ナマケモノ教授のムダのてつがく』(さくら舎、2023年)という本がある。

書店で見かけたとき、おお、同志が現れたか、と思ったものだ。

しかし、読んでみて、秋風が心に染み入るような寂しさを味わった(読んだのは夏だったが)。

 

めんどくさいので詳細は省くが、本書の趣旨は「ムダやナマケモノ」が実際には役に立つ、というものである。

目的がすべてではなく、一見不要と思われるものを大事にすることで、得られるものもある、というのである。

つまり、一直線に目的を達成するような有用性だけでなく、一見無駄と思われるものに潜む有用性を再認識しよう、というのが辻の主張である。

 

これは、確かに一見、説得的なご意見だ。

しかし、トリの同志ではなかった。

結局、「有用性」というところに着地してしまうからである。

「無用の用」を「用のための無用」と読み替えてしまっている。

無駄なものや人、一見無駄に見える行動が、最終的には利益に結び付くという、「三年寝太郎」的なうさん臭さが感じられる。

 

辻は言う。

「ぼくは「ムダ」と「役に立つ」を対立するものとして見ているわけでもないし、「役に立つ」を否定しているわけでもない。逆に、両者を対立としてみる見方こそが、問題だと考えている。「役に立つ」ことを絶対視して、一見、役に立たないように見えるものを「ムダ」として切り捨てるようなやり方に「NO!」と言っているだけだ。」(前掲書、190頁)

 

辻は、「一見、役に立たないように見えるもの」の有用性を強調しているのである。

でももし、「一見」でなく、「どこからどう見ても、ムダでしかないもの」(トリのことだ)はどうなるのか。

辻は、自分は有用な人間だと思っているのだろう。

 

「ぼくたちはみな、一歩間違えれば役立たずのムダな存在になってしまうというぎりぎりの境界線の上を綱渡りのように歩いているのかもしれない。しかし、「自分は生きるに値するかどうか」という問いが露わにしてしまう崖っぷちがすぐそこにあることを感じながらも、それを意識の表面にのぼらせないようにしているだけなのではないか。」(前掲書、208頁)

 

トリの実感からすれば、トリなどはもう、とっくにその境界線から転げ落ちている。

「自分は生きるに値しない」ところから、今がある。

それを意識にのぼらせないようにしても、転げ落ちてきた崖はすぐ頭上にあり、這い上がることはできそうにない。

 

ダメの人をなめるな。

辻のいうことは、大学入試的レベル(作者の言いたかったことは次のうちどれ?)では理解できるが、「無用」と「有用」の対立に意味はないなどという、おためごかしは理解できない。

「無用」と「有用」が対立ではないということは確かにそうであるが、そもそも依って立つ次元が違うから当たり前のことだ。

 

「有用」は非常に限定的な性質であり、「無用」は非局在的な無限定である。

例えば商品開発に有用な発想は、気候変動について何も答えてくれない。

お金がもうかる仕組みを考え付く人も、銃を突きつけられたところから逃げ出すすべはない。

 

しかし、「無用」は徹底的に無用である。

ある部分では無用だが、あるところではそうではない、というような中途半端なものではない。

見方を変えれば何かに使えるような、そんなやわなものを「無用」とはいわない。

『荘子』のいう「デカすぎるヒョウタン」や「まがりくねった大木」は、どこまでも「無用」のものである。

 

それを「無用の用」と称したのは、老子、荘子のレトリックに過ぎない。

それがわからない人が、勝手に語順を入れ替えて「用のための無用」にしてしまったんである。

「無為」もそうだ。

「行動するための無為」だという解釈もあるが(福永光司『老子』朝日選書、1997年、460~461頁)、誤解も甚だしい。

老子は「生きていること自体が無為である」と言ったのだ。

 

ダメの人だって、今生きている。

疑う人は、トリを見よ。

image

※ダメの人と、ぼろスマホ。ではみなさん、よいお年を。