地蔵萌え 空心齋閑話0920 | 宇則齋志林

宇則齋志林

トリの優雅な日常

おはようございます。

日本及び東洋の仏教美術を研究する、美術史家のトリです(これが案外、事実だったりもする?)。

 

お地蔵さんといえば、路傍の石の地蔵や、巣鴨とげぬき地蔵尊などのように、ほぼ単体で祀られている姿が思い浮かぶ。

しかし、かつては虚空蔵菩薩とセットで造像されていたらしい。

最初期の造像である光明皇后発願による東大寺の地蔵像、九世紀半ばの貞観年間に作られた京都広隆寺の地蔵像も、虚空蔵菩薩とセットであった(速水侑『地蔵信仰』はなわ新書、1975年、38~40頁)。

 

このセットの理由は分かりやすい。

虚空蔵菩薩(アーカーシャ・ガルバ)は天空の象徴であり、地蔵菩薩(クシティ・ガルバ)は大地の象徴だからである。

つまり、天地のセットである。

 

それがいつからか分割されて無関係になり、地蔵像はそのまま作り続けられているが、虚空蔵菩薩像の作例は、その後あまり見なくなっている。

虚空蔵菩薩といえば、弘法大師が仏道修行を始めた初期の頃に、「虚空蔵求聞持法」という行法を習い、そこから密教へと入って行くきっかけとなった。

かなり重要な仏さまのはずだが、高野山でも虚空蔵菩薩を単体で祀っているお寺はなさそうである(地蔵院というお寺はある)。

 

さて、かたい話はさておき。

いつ頃からか、道端に立っている石の地蔵に惹かれるようになった。

特に理由は思い出せないが、人目につかないところにひっそり立つお地蔵さんを見かけると、なぜか心休まるような、ほっとする気分になった。

 

昔は雲崗、龍門、敦煌などの中国の石窟寺院の仏像(北魏~唐)や、日本でも平安鎌倉、南北朝くらいまでの、秀逸な仏像しか目に入っていなかった。

そういう仏像は、信仰の対象であるとともに、非常に優れた美術品でもあり、研究のし甲斐はある。

それに対し、石の地蔵は、風雨にさらされてすでに目鼻もなくなっているようなのもあり、少なくとも美術品とはいいがたい。

 

しかし、そのような、あまり誰にも省みられないようなところにこそ、地蔵の本質があるのではないか、と思ったのである。

何かで窮地に陥ったとき、「南無観世音」と唱えると、観音菩薩がたちどころに助けて下さる(『法華経』観世音菩薩普門品)、というような華々しい救済方法を、地蔵菩薩はとらない。

不治の病の病人の手を、何も言わずにそっと握ってくれるようなところが、地蔵菩薩にはある。

 

※地蔵菩薩立像。