教育原論 空心齋閑話0726 | 宇則齋志林

宇則齋志林

トリの優雅な日常

おはようございます。

教育現場における発達心理を研究している、教育心理学者のトリです(正直なところ、もう学校には行きたくありません)。

 

夏休みに入り、暑さもMAX、不快指数爆上がりで、家でゴロチャラしている子どもたちに、「勉強しなさい! 宿題は終わったの?」と怒鳴りつけたい衝動に駆られている親御さんも多いことだろう。

 

しかし、子どもに「勉強しなさい」と言ってはならない。

勉強をする子は、言わなくてもするし、しない子は言ってもしないからだ。

それどころか、下手な発破をかけたがために、一生の不覚を取ることだってある。

 

私は自分に子どもはいないが、子育てに失敗した例なら身近にある。

うちの両親だ。

 

うちの親は、押しつけがましくはなかったが、わりと折に触れて「勉強しろ」というタイプだった。

両親ともに教師だったからかもしれない。

この世に、学校へ通いながら勉強しない奴がいる、ということが信じられなかったのだろう。

 

さて、親から「勉強しろ」と言われた結果、どうなったかっちゅうとですね。

皆さんご覧の通りの、トリのような奴が出来上がった。

 

私は実際、学校へ通っている時分には、ほぼ全く勉強をしなかった。

ところが、親があまりにも「勉強しろ」と言うものだから、内心では勉強することへの価値観が根付いていたのだと思う。

その後、もはや勉強しても誰も喜ばなくなった頃、サブ-リミナル効果が出てきて、お勉強が好きになった。

 

今では仕事もせずに、日々勉強ばかりしている(自慢ではないが、そこらへんの受験生よりも勉強している。。。多分)。

そのお勉強の成果がこのブログだと思うと、そのお粗末さに愕然としないものでもないが、ディレッタントの学問というのは自分の満足のためにあるもので、他者にひけらかす類のものではない。

しかし、この際、私のことはどうでもいい。

 

お宅のお子さんが、もし学齢期で、家庭学習をしないタイプだったら、絶対に「勉強しろ」と言ってはならない。

理由は、言ってもやらないし、やったところで適当に誤魔化すだけだし、トラウマになって、以後必要な学習もできなくなるか、トリのように仕事をしなくなる可能性が高い。

 

通知表で「オール2」とか、「志望校すべてE判定」とか、全学年中下から数えた方が速いような成績を持ち帰ると、非常に不安になるかもしれないが、「飯を食え」とは言っても良いが「勉強しろ」と言ってはならない。

子どもが他人を傷つけるような行いをした場合、ぶん殴ってでも諭す必要はあるが、勉強の強要はしない方が良い。

 

逆説的な本当だが、周囲から「勉強しろ」と言われて勉強した結果、大成した人は少ない。

子どもは放任して、親は自分が好きなことばかりやっている方が、教育的には成果が上がると思う。

もしくは、

「この子はもう、来年の今ごろはいないかもしれない」

と思って接すると良いだろう。

※諸行無常。来年の土用丑の日にも、鰻が食えるだろうか、と自問する日々。