おはようございます。
常に論理的思考を心がけている、論理学者のトリです(論理を突き詰めすぎると、「曰く不可解」と言って死にたくなる可能性があります)。
人間生きていると、しばしば岐路に立たされることがある。
右か左か、行くか戻るか、生か死か、それが問題だ。
こういうとき、あなたならどうしますか。
可能性AとBがあり、そのどちらもが50パーセントであるならば、サイコロで決めても良いだろう。
しかし、Aが51でBが49というような場合、それでもやはり迷ってしまう。
例えば、おやつを芋けんぴにするか、シュークリームにするか、というような場合だ。
好きなのはシュークリームだが、最近食べ過ぎで、メタボが気になるとしたら、容易に手を伸ばせない。
サイコロを振って、「シュークリーム」が出れば良いが、「芋けんぴ」を指定されると、腹が立つ可能性がある。
サイコロの分際で、医者みたいなことを言うな。
しかし、サイコロを無視し、健康被害の可能性に目をつぶってまで、シュークリームを食べる蛮勇は出ない。
こういう場合、龍樹(ナーガールジュナ)『中論』を読むと良いだろう。
そこにはこういうことが書いてある。
「条件は結果を生まない」(第一章)
「原因から結果は生じない」(第二十章)
全文引用するとめんどくさいので省略するが、龍樹の議論から言えることは、
「シュークリームに含まれる成分が、肥満や病気を引き起こすことはない」
「シュークリームを食べたことが原因で病気や肥満になることはない」
「病気や肥満は存在しない」
ということである。
いやいや、現に病気の人はいるし、肥り過ぎの人も存在するではないか。
そういう反論が想定される。
しかし、龍樹はこう言っているのだ。
「まだ病気になっていない人は、病気にならない」
「病気になりつつある人は、病気にならない」
「すでに病気の人は、病気にならない」
龍樹がいうのは、
「原因と結果が同じものではないから、原因は結果を生まない」
「原因と結果が同じものなら、両者の区別はないから、やはり原因結果は存在しない」
ということである。
つまり、「シュークリーム」は「肥満」と同じではない。
シュークリームから肥満が出て来ることもない。
今現在、私は肥満でも病気でもない(多分)。
こうして、めでたく「シュークリーム」一択が実現する。
「芋けんぴ」との間で迷っていた自分が嘘のようだ。
八宗の祖と言われる龍樹は、大乗仏教の基を築いたとされる。
そのありがたい教えが、以上のような思考法から出ている。
この圧倒的な安心感に身を任せるところから、大乗仏教は始まるんである。
※去年のクリスマスケーキ。