迷った時の『中論』 空心齋閑話0215 | 宇則齋志林

宇則齋志林

トリの優雅な日常

おはようございます。

常に論理的思考を心がけている、論理学者のトリです(論理を突き詰めすぎると、「曰く不可解」と言って死にたくなる可能性があります)。

 

人間生きていると、しばしば岐路に立たされることがある。

右か左か、行くか戻るか、生か死か、それが問題だ。

こういうとき、あなたならどうしますか。

 

可能性AとBがあり、そのどちらもが50パーセントであるならば、サイコロで決めても良いだろう。

しかし、Aが51でBが49というような場合、それでもやはり迷ってしまう。

例えば、おやつを芋けんぴにするか、シュークリームにするか、というような場合だ。

 

好きなのはシュークリームだが、最近食べ過ぎで、メタボが気になるとしたら、容易に手を伸ばせない。

サイコロを振って、「シュークリーム」が出れば良いが、「芋けんぴ」を指定されると、腹が立つ可能性がある。

サイコロの分際で、医者みたいなことを言うな。

しかし、サイコロを無視し、健康被害の可能性に目をつぶってまで、シュークリームを食べる蛮勇は出ない。

 

こういう場合、龍樹(ナーガールジュナ)『中論』を読むと良いだろう。

そこにはこういうことが書いてある。

 

「条件は結果を生まない」(第一章)

「原因から結果は生じない」(第二十章)

 

全文引用するとめんどくさいので省略するが、龍樹の議論から言えることは、

「シュークリームに含まれる成分が、肥満や病気を引き起こすことはない」

「シュークリームを食べたことが原因で病気や肥満になることはない」

「病気や肥満は存在しない」

ということである。

 

いやいや、現に病気の人はいるし、肥り過ぎの人も存在するではないか。

そういう反論が想定される。

しかし、龍樹はこう言っているのだ。

「まだ病気になっていない人は、病気にならない」

「病気になりつつある人は、病気にならない」

「すでに病気の人は、病気にならない」

 

龍樹がいうのは、

「原因と結果が同じものではないから、原因は結果を生まない」

「原因と結果が同じものなら、両者の区別はないから、やはり原因結果は存在しない」

ということである。

 

つまり、「シュークリーム」は「肥満」と同じではない。

シュークリームから肥満が出て来ることもない。

今現在、私は肥満でも病気でもない(多分)。

 

こうして、めでたく「シュークリーム」一択が実現する。

「芋けんぴ」との間で迷っていた自分が嘘のようだ。

 

八宗の祖と言われる龍樹は、大乗仏教の基を築いたとされる。

そのありがたい教えが、以上のような思考法から出ている。

この圧倒的な安心感に身を任せるところから、大乗仏教は始まるんである。

※去年のクリスマスケーキ。