おはようございます。
周囲から、常にトリビアライズされているトリです(こう書くと、何だか偉くなったような気がする)。
些末なことにこだわるな、とはよく言われることである。
しかし仏教的な価値観では、「些末なこと」よりも「こだわること」の方が良くない。
以前、やたらと「シンプルイズベスト」とごり押ししてくるおっさんに会ったことがあるが、シンプルだろうと、こだわる態度そのものが良くないんじゃないか、という点にはお気づきになっていなかったらしい。
それはさておき、つまらないと言われようと、些末でちょっとした知識を仕入れると、すぐ人にしゃべりたくなるのは、何もトリだけのことではなさそうだ。
それがちょっとした些細なものであればあるほど、しゃべりたくなるのだ。
例えばヒッグス粒子に関する新事実とか、誰もが誤解していた歴史的事実についての新資料とか、まだ知られていなかったアメリカの機密文書の内容とかを偶然知ったとしても、すぐに人にしゃべりたくなるような気はしない。
そんなものではなく、例えばハンドクリームを塗るとシールが剥がしやすくなるとか、女城主直虎は実は男だったとか、そういうどうでもいいことに限って、すぐ人にしゃべりたくなるのだ。
先日も、そのようなネタを仕入れた。
どこかで誰かにしゃべりたくてうずうずしていたが、この社会情勢で誰も会ってくれず、発表の機会は失われたままだ。
結局このブログに書くことにした次第である。
皆さん、一センチがどのくらいの長さかご存じだろう。
では、それがいかなる基準で決められたか、ご存じだろうか。
それはフランス革命の頃だった。
赤道からパリを経由して、北極点に至る距離の、十億分の一を一センチとする、と定められたのだ。
それにしても、どうやって赤道から北極点まで、「一センチの狂いもなく」計測できたのだろうか?
そこがぜひとも知りたいところだ。