深夜、病院のベッドで静かに祈るものがあった。その声は小さくか細く、周囲の誰の耳にも届いていなかったが、祈りの声は長く続いていた。
それは、眠っている患者の体内から聞こえてくる声だった。
全身が深い眠りに沈む中、一人起きて祈っているのは、患者の癌細胞だった。彼はこれまでの生活でためられたストレスや疲れ、感情などのもたらすあらゆる毒素を、最後の水際で引き受けて患者を生かす役割をになってきた。
しかし、その努力もこれまでだ。あらゆる侵襲的治療、薬物によって、もはや彼の力の限界を超えた。それよりも、これ程の辛い努力にも関わらず、一方的に敵視され全く何の考慮もなく切除されようとしているのである。
癌細胞の気持は純粋で、善意に溢れるものだった。患者がここで踏みとどまって生活を見直し、気持新たにしてくれれば、またもとの普通細胞に戻れるのに、切除、抗癌剤で攻撃され、仕方なく他の細胞にもその責を負わせることになった。無念の極みである。
力になろうとして、それが及ばなかったこと、その努力にまるで気づいてもらえなかったことが、彼を著しく疲弊させていた。
もう、楽になってもいいですか。
最後の気力を振り絞って、癌細胞は神に祈った。
そうして、その願いが容れられたとき、患者の命も尽きるのである。だが、患者は最後まで癌細胞が守ってくれていたとは気づかず、癌に殺されると思っている。
祈りの声は、やがてさらに細く、途切れがちになって行った。