物心ついた頃から、流行に疎かった。
流行りのドラマも見ず、歌も聴かず、ゲームも持っていないときて、それなりに友達がいたのが不思議なくらいだ。
そんな奴が知っているくらいだから、既に流行でも何でもないのだろうが、キャッシュレス化が進んでいるらしい。
諸外国では数年間現金を使ったことがない、という人も珍しくないという。しかし、そこまでのキャッシュレス化は、日本に馴染むのだろうか。
例えば、神社仏閣でのお賽銭。
小銭をちゃりんと投げ入れるのが良いところで、カードやケータイをピッではお賽銭と言えない。
街頭募金もそうだ。あ、今日は小銭がないからやめとこう、が通用しなくなる。
また、街を歩いていて小銭を拾う楽しみがなくなる。駅の券売機や自販機の側などで、100円ゲットしたときの高揚感たるや…。500円でも見つけようものなら、舞い上がって1000円の無駄遣いをしてしまう。それが出来ないとなると、日本経済にとっても甚大な損失である。
それから子供のお小遣い。
毎週とか毎月決まった日に決まった額が与えられるところに良さがあるのだ。それ以上でも以下でもない。お財布ケータイでは無尽蔵に使われてしまう。
かくて、100円握って駄菓子屋へ、という牧歌的風景も絶滅する。飴と酢昆布と舐めくじを買って、ケータイでピッ、では駄菓子屋の楽しみは半減だ。はい、お釣り20円、とか飴さんオマケしといたよ、的な交流も途絶える。
キャッシュレス化は、日本文化の衰退を狙った陰謀ではないかというのがトリの見立てである。

※前かがみでよたよた歩いている割に、小銭を拾わない。