モーツァルトのヴァイオリンソナタを聴きながら | 宇則齋志林

宇則齋志林

トリの優雅な日常

雨上がりの澄んだ空気が心地よい。
風の感触が、秋めいてきている。

モーツァルトのヴァイオリンソナタを聴きながら、窓辺に佇むたぴ岡さんとトリ。↓
※手前にあるまるこいのは、暇中先生にもらったウニの殻である。

このところ、イルカの歌声ばかり聴いていたが、それに匹敵するのは、モーツァルトしかない。
モーツァルトの音楽は、オペラなどを除いて、どれがどれ、という個性を主張しないので、バックグラウンドミュージックとして抜群の安定感を誇っている。シンフォニーでさえそうで、
そういうところが、ベートーヴェン以後の音楽と決定的に違うのではないか。
モーツァルトの凄いところは、全然進歩しようとしないところだ。つまり、自分の殻を破ろうとか、この辺でブレイクスルーしたいとか、そういう欲求がまるで見て取れない。
いつも同じで安定して楽しく、心地よく、それでいて常に新意に溢れている。
自分を否定して、それをはねのけようとするのが近代だとすれば、モーツァルトはそういったマインドセットの餌食になっていない。
近代以降に作られた幻想は数多いが、そのような自己変革というか、自己否定から始まる変化への希求というものは、もはや無駄な重しに過ぎなくなっているのではないだろうか。

※災害からの復興を祈るトリとまるいの。