筆記用具 | 宇則齋志林

宇則齋志林

トリの優雅な日常

 先日ふらっと立ち寄った書店で立ち読みしていると、ある本に携帯メイルが思考を破壊するという意味の文章が載っていた。その理由は細切れの文章に加えて、顔文字や絵文字を使うので、実際以上に「何かを伝えている」という錯覚を起こすからだという。

 そういう錯覚を起こしたまま、長年にわたって簡便な文章ばかり書いていると、思考力は多分根底から破壊されるだろう。


 それは困る、と思ったからだけではないが、最近自分の手でまとまった量の文字を書くという貴重な経験から遠ざかっているという事実に驚き、この頃徐々にその習慣を復活させつつある。


 最近は文字を書くのに、これも先日たまたま立ち寄った書店の文房具コーナーで見つけた、パイロットのペンを使っているのだが、ペン先が平らにカットされていてカリグラフィーのような文字が書ける製品である。


 ところで、ぼくはあまり自分の文字が気に入っていない。丁寧に書いてもぞんざいに書いても、ちゃんと読めるという点は誇れるが、どこか形がおかしい。子供のころに描いた絵のように、何となく人に見せるのがためらわれるのである。  

 その点、このペンはカリグラフィーのようなちょっと変わった文字になってくれることで、余計な個性がごまかされて、自分の文字でありながら何となく他人のもののような距離感が生まれ、後で読み返しても字による自己嫌悪が少ない所が気に入った。


 難を言えば、ペン先がステンレスであるため、紙に書くときに摩擦で過剰な筆触が生まれ、若干手に心地よくない。ぼくの一本しかない万年筆はカランダッシュの製品で、18金のペン先だから、インクフローは大変良かった。紙の上をつるつる滑っていた。

 しかし、ある時ペン先を調整してもらったら、紙の上で引っかかるようになり、ほんの少しだけ手にそれを感じ始めた。そこまで神経質にならなくても、と我ながら怪訝だが、ペンを手の延長であり、また神を降ろす憑代とするならば、やはり一点の曇りもないものを使いたい。


 そこまでこじつけずに新しいものを買いに行けばいいのだが(事実、知人のU氏のように、一人で十本も所有している人もいるのだ)、やはり自分にとってはそれくらいもったいをつけて買いたいものなのである。


 しかし、カリグラフィーのような文字の書けるペンと言えば、カリグラフィーのためのペンしか売っていない。いくつかのメーカーからそれは発売されているが、どれもペン先はステンレスで、今使っているものと大差ない。


 どこかにあるだろうと思って、いろいろ調べているうちに、スイスのペリカンというメーカーが、オブリークという、切れ込みの入ったペン先を作っていることが判明した。ペリカンなら万年筆の老舗である。喜んで百貨店その他の文房具売り場に行くと、そんなものはどこにも置いていないという。そんなはずはないのだが。

 

 よく聞いてみると、そのような癖のある字を書くためのペン先は不人気で、この度生産中止が決定され、新しいカタログから抹消されたのだということだった。その気になるのがちょっと遅かったようなのである。


 はたして、ぼくは気に入った筆記用具に巡り合えるのだろうか・・・。