社会保障給付の増大と財政危機 | Wonder of Numbers by Shinta

Wonder of Numbers by Shinta

日々のつれづれの感想を、数字とからめて書いています。

肥満解消や禁煙により健康が促進されても、必ずしも、財政にとってはプラスにならない との記事。
深いな。
_________________________________________________

社会保障給付の増大と財政危機
http://www.rieti.go.jp/jp/columns/a01_0303.html

主要先進国において、財政の健全性がマクロ経済政策上の大きな論点となっている。欧州では、アイルランド、ギリシャの国債金利が急騰するなど財政危機に関連する金融不安が起き、未だ燻っている。これは決して対岸の火事ではない。財務省が最近公表した2010年末の「国債及び借入金並びに政府保証債務現在高」によれば、日本の政府債務は919兆円にのぼっている。周知の通り日本の政府債務残高対GDP比はOECD諸国中最大となっており、先般、S&Pは日本国債の格付けをダブルAマイナスに引き下げた。ソブリン・リスクに対する市場の注目度が高まる中、財政の持続可能性を確保することは予期せざるマクロ経済的ショックを回避するために不可欠となっている。

1990年代「失われた十年」の間の度重なる経済対策に伴う公共投資の追加、最近のリーマン・ショック後の財政拡大策などが政府財政悪化の主因と思われがちだが、構造的に見ると社会保障給付の増加、それに見合った財源手当ての遅れがより本質的である。社会保障・人口問題研究所が発表した2008年度「社会保障給付費」によれば給付費は94兆円強、前年度比+2.9%増となり、国民所得に対する比率も26.8%と前年度比+2.6%ポイント上昇した。内訳を見ると、「医療」29.6兆円(+2.3%)、「年金」49.5兆円(+2.6%)、「福祉その他」14.9兆円(+5.1%)と全ての分野で増加している(図参照)。こうした中、税制と社会保障の一体改革が大きな政策アジェンダとなっている。

図:社会保障給付費の推移(兆円)
喫煙と肥満は、社会保障給付費と密接な関係があり、世界的に喫煙や肥満に関する研究は経済学の中でも成長分野となっている。近年、医療・労働経済に関する専門誌のみならずトップ・ジャーナルでも喫煙や肥満に関する研究成果が頻繁に掲載されている。昨秋の日本経済学会のパネル討論では、「行動経済学から社会病理を考える:肥満・喫煙・多重債務」がテーマとなった。
喫煙・肥満の経済分析
喫煙が健康や寿命に悪影響を持つことは多くの実証分析が示している。たとえば、Cutler et al. (2009)は、過去30年間、55~74歳の米国国民の死亡率低下-3.9%ポイントに対する喫煙減少の寄与度を-1.2%ポイントと推計している。ちなみに、OECD Health Dataによれば、日本の喫煙率は約26%で、比較可能な27カ国中高い方から6番目である。日本より喫煙率が高いのはギリシャ、オランダ、アイルランド、トルコ、スペインであり、偶然だと思われるが財政危機のリスクが指摘される国が複数含まれている。

こうした中、日本では昨年10月にたばこ税の大幅な引き上げが行われ、マイルドセブンは1箱300円から410円に値上げされた。この結果、大規模な駆け込み需要が発生し、景気動向にも影響した。「家計調査」によれば9月の1世帯当たりたばこ支出金額は、前年同月比実質145.0%の大幅増となった。一方、10月のたばこ販売数量は前年同月比約-70%と急減し、「ついで買い」需要への影響もあってコンビニエンスストアの10月販売額は前年同月比-3.3%減少した。マイルドセブンを例に取ると約37%の値上げだから、喫煙者にとって値上げ前に数カ月分の備蓄を行うことは年率換算収益率約150%というローリスク・ハイリターンの投資であった。長期的な健康へのコストを考慮すれば当然結論は異なるが、短期的には極めて合理的な喫煙者行動が観察された。

しかし、米国では最近、喫煙よりもむしろ肥満の問題がクローズアップされている。前出Cutler et al. (2009)は、肥満の増加が過去30年間米国の55~74歳死亡率を+0.6%ポイント高めたと試算しているが、将来は喫煙の減少の正の効果よりも肥満増加の負の影響が大きくなり、今後20年間、肥満が55~74歳の死亡率を+1.3%ポイント引き上げる効果を持つと予測している。また、Lichtenberg (2009)は、肥満が1991~2004年の間に米国人の平均寿命を-0.6~-0.7年短縮したと推計しており、喫煙減少の正の効果に比べて数倍の負の影響を持っているという結果である。健康や寿命の観点からは喫煙も肥満も望ましくないが、量的なマグニチュードは肥満の方が大きいことを示している。Frijters and Barón (2009)は、米国HRS(Health and Retirement Study)データに基づいて肥満・医療費・寿命の関係を分析し、肥満は寿命を縮める慢性病の原因となるが、肥満者は高コストの医療検査を多く受ける傾向があるため、早期発見を通じて心疾患・肺疾患に罹患した際には非肥満者よりも生存する傾向が高いことを示している。その上で、肥満に係る年間約700億ドルの医療費のうち約85%は肥満者自身ではなく社会全体が負担しており、こうした肥満の外部性を考慮すると肥満度に応じて治療費の差別化を行うという形の課税を行うことが経済的対応として考えられると論じている。

OECD Health Dataによれば、日本の肥満(obese)人口比率は3.4%と比較可能な25カ国中最低水準だが、肥満気味(overweight)を加えると欧米に比べればずっと低いとはいえ25.1%となる。既に2008年から「特定健診・特定保健指導」(いわゆるメタボ検診)が開始されたが、今後、喫煙に続いて肥満に対する魔女狩り的な風潮が拡がることも懸念される。
禁煙・メタボ対策の社会保障財政への効果
米国における喫煙と体重の関係を分析したLiu et al. (2010)は、喫煙者は非喫煙者、禁煙者と比べて肥満確率が9.4%、18.5%ポイント低く、職場の禁煙は肥満を0.31%ポイント増加させる効果を持ったと推計し、喫煙の減少は肥満の増加をもたらす可能性があると指摘している。つまり、喫煙と肥満とは独立の現象ではない。

冒頭の話に戻すと、喫煙や肥満は社会保障財政とどういう関係を持っているのだろうか。禁煙運動は医療費の削減、ひいては財政にプラスだと思われがちだが実はそう単純ではない。Michaud et al. (2009) は、米国HRSデータに基づくマイクロシミュレーション・モデルにより、肥満の増加、喫煙の減少というトレンドが医療費、労働供給、財政に及ぼす影響を推計した興味深い研究である。医療費への影響だけでなく年金給付への効果も考慮している点が特徴である。その結果によると、肥満の増加と喫煙の減少はともに財政に対して負の影響を持つ。肥満の増加は寿命短縮を通じて年金給付を節約する効果を持つが、医療費増加の影響が年金支出の減少を凌駕する。一方、喫煙の減少は死亡率の低下をもたらし、年金給付負担の増加が医療費の比較的小さな減少の効果を上回り、ネットでは政府債務を増加させる。同論文は、以上の結果だけから喫煙の拡大や肥満の削減が正当化されるわけではないと留保しつつ、これら2つは社会保障に関する計算を行う上で十分に大きな要素であると指摘している。

以上の研究は、たばこが税収面だけでなく実は歳出面からも財政と強い関連があること、別々に議論されがちな医療制度と年金制度の間にはさまざまなトレードオフや補完性があることを示している。

もちろん、日本は米国とは医療・年金制度が異なるし、喫煙率や肥満率も異なることから上の結果を単純に準用することはできないし、たばこ税率の変更やメタボ検診制度の変更が日本の国債金利に影響するとまでは考えにくいが、喫煙や肥満が財政の持続可能性に対して意外な経路で影響しうることを示唆している。また、HRSデータをはじめ豊富な基礎データに基づく分析が、エビデンスに基づく政策形成に対して持つ意義も明らかにしている。RIETIでは高齢者パネル調査(JSTAR)の構築を進めており、今後、こうした実証研究への応用が期待される。

2011年2月15日$Wonder of Numbers by Shinta