とても素敵なカフェの映画会でした


お伝えてしていた通り、昨日、国分寺のカフェスローにて
「ある春のための上映会」が開かれました



東日本大震災で、当時、大川小学校に通っていた妹さんを亡くした、大川中学校2年生だった佐藤そのみ監督(26)2本の映画

妻に教えてもらって、上映会に私もボランティアで参しました




お店は満席でした ^_^

1本目は「春をかさねて」
津波で妹を失った、しっかり者の中学生の物語

主人公の女子中学生は、マスコミの取材にも上手に受け答えをして皆から褒められるのですが、実は「妹を失っても頑張る中学生」と言う肩書きから抜け出したいと思い続けている



佐藤さんや友達たちの当時の経験が深く盛り込まれています

大学生が作った自主映画ですが、どんな名監督や大監督であっても、撮れない作品に仕上がっていました
訴えるものがありました

共に津波で妹を失った主人公と親友が
これからは自由に自分らしく生きよう」と、心に決める希望を感じさせる作品だったのです

内容もさることながら
映画を見て衝撃を受けました
 
それは、大川地区の皆さんが全面的に協力していること



私が取材で出会ったご家族が、いろんなシーンに顔をだす

例えば、主人公の家族で娘を失った父親役を、本当に大川小でお嬢さんを亡くしたお父さんが演じてるのです

商業映画だったら絶対にありえない配役です

映画に出演したご遺族に話を聞くと
「遺族の父親役だから普通にできました。演じると言うよりは、自分のことだから、そのままやったという感じです」
そんな答えが返ってきました

さらに、驚いたのは
損壊した大川小学校の中でクライマックスのドラマが進行する



今は震災遺構となっている小学校の中で映画のロケをするなんてまず不可能です

それもこれも、妹を失った佐藤そのみさんがメガホンを取るということで、大川地区の住民の皆さんが全面協力しているんです
 
本当に温かいと思いました

おそらくこれからはないことでしょう

だからとてもとても貴重な映画なんです

なのに、この映画のことはあまり知られていません

その理由が、上映後の私とのトークで明らかになりました



5年前にこの映画を制作した佐藤さんは誰にも見せず、この映画を封印していたのです

佐藤さんは、発災当時、自分が受けた取材の放送は見ないようにしていたといいます



なぜならば、最初に番組を見たときに、自分のインタビューのところで、1部だけが使われ、悲しい音楽が流れて、悲劇の女の子と言う
ちょっと自分とは違うような、自分がそこにいたのを見て、衝撃を受けたから

それ以降、佐藤さんは、こういう風に振る舞わなければいけないんだろうなと言う、マスコミのイメージに沿った受け答えをしてきたそうなんです

それがとても苦しかったと



そして、それを見た人が、また自分を褒めてくれて、また苦しくなる

マスコミだって、支えようと思って番組を作り、周りの人だって褒めるのですが、それが苦しみになるなんて、想像力の貧困でした




その先の光を描く映画を撮ることで、「しっかり者のかわいそうな女の子」と周囲から規定された自分から脱却できると
大学を休学して制作に没頭した佐藤さん

ところが、いざ映画が完成してみると
これを世の中に発表すると、
【津波で、妹を失った大川小の遺族が映画を撮った!】
と、ますます、津波の遺族と言う肩書から離れられなくなると言うことに気づいてしまったそうなんです

そこで、ほぼ5年間、この映画は佐藤監督の意思によりお蔵入りとなっていました

コロナが明けると、いろんな人から「あの映画どうなった」と聞かれるようになって
関係者に見てもらったりしているうちに
作品がとても褒められて、映画会を行って、他の人に見てもらってその思いを語っているうちに
作品が自分から離れていく感覚に、どんどん気持ちが軽くなっていたそうです



こうして、この作品は、ようやく世に出るようになったこと

想像を遥かに超えた複雑な心模様の中で、映画が公開されていたことが、上映後のトークセッションで明らかになりました




自分の思いを外に吐き出していくと言う事は、心を癒していくプロセスとしてとても大切なことなんですね



他にも、
「妹は、小学生で何も経験しないうちに亡くなってしまったので、自分は恋も結婚もしてはいけないと思っていた」
佐藤監督はそんな話もしてくれました

そのセリフはそのまま主人公のセリフとなって出てきます

しかも、佐藤さんは、私の問いに

「妹を失ってからは、これからの自分の人生は、余生なんだなと考えていました」

あまりにも衝撃的でした
中学2年生が、津波を生き延びても、「自分の人生はもう終わった」と捉えていたということ

にもかかわらず、大人たちのイメージ通りに生きていくと言うことを自分に課していたと言う厳しい現実

これだけ被災地の取材をしていても、私が思い届かない困難に佐藤さんは直面していたのです

これは佐藤さんだけの困難ではないと思いました

肉親を失った遺族は、もう笑ってはいけないのか?

そんな事は絶対に無いのですが
その重い十字架を背負ってしまう遺族は少なくないのでしょう

マスコミに対する批判的な視点もこの作品には盛り込まれていますが、その記者たちを演じているのも、当時の新聞記者の皆さんなのです
これも驚きでした

ただこれは、しっかりと心の交流を続けているマスコミの皆さんがいると言う1つの証でもありました
 
そして、もう1本、卒業作品として作った津波を生き延びた当時の小学生たちの今の思いを描いたドキュメンタリー作品
「あなたの瞳に話せたら」も上映されました

この2本の映画の上映とトークセッションによって、かなり深いところまで、当事者の皆さんの思いを知ることができました

中身の濃い心に迫る上映トークイベントになり良かったです

皆さんが帰った後に、カフェスローのスタッフさんと4人で小さな打ち上げを行いました




来てくださった皆さん本当にありがとうございました

実は、この貴重な自主映画を
上映してくださる上映会の皆さんを、佐藤そのみ監督は待っております

お問い合わせ申し込みは
下記のアドレスまで

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aruharufilm@gmail.com

「ある春のための上映会」担当者宛
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ぜひ、この映画を多くの人に見ていただいて、感じていただきたいと思います

今後の、各地の上映予定はこちらのサイトをご覧ください



どうぞよろしくお願いいたします

妻も見にきてくれました