宮城県気仙沼に講演会に行きました
東日本大震災でも訪れた土地であり
その後の取材での忘れられない人達との出会いの場でもありました
一ノ関から車で40分ほどで着きました
車に乗るやいなや
主催者である気仙沼法人会の迎えの方に
「気仙沼市民会館に案内していただけますか」
とお願いすると
快く連れ行ってくださいました
13年前、震災7日目の吹雪の日に宿泊地の仙台から早朝出発し、120キロ先の「とくダネ!」中継ポイントは気仙沼市民会館でした
あまりにも悲惨な取材をした翌日だったために、泣きながらの中継になってしまったのは忘れられません …
13年たっても気仙沼市民会館は変わっていませんでした
この写真は、ちょうど私が玄関から入ろうとしたときのものです
1階の玄関は、13年たっても変わっていませんでした
入るとすぐに思い出しました
暖房の入っていない玄関で1人で寝ていた初老の男性の事を
「どうしてこんなところに寝てるんですか? 2階に行けば暖房が入ってますよ」
「母ちゃんがいないんだよ
ここにいれば、出入りしたした人の誰か母ちゃんのこと教えてくれるかと思ってね」
深い妻への愛を感じましたが
妻を失ってしまった男性のもろさといったようなものも、にじみ出ていました
市民会館の館長は、女性で本当に精力的にテキパキと、避難をしてきた市民のために働いていました
話を聞くと、家は半壊でご主人が行方不明だと言うのです
しかし、一週間も経っているのに、まだ家に帰っていない
「ここには市民の方もいますし、忙しい方が気が紛れでいいんです」
芯の強い方であり、それほどの困難の中でも公務員と言う職責をしっかりと自覚している事に感銘を受けたことを自然と思い出します
同時に、今、能登でも被災した方や
被災者のために身を粉にして働いている方々がいる事を思いました
当時、会館に入ると被災者の皆さんは、
「よく遠くまで来くれました」
「寒くない大丈夫?」
「そんなことよりお母さんたちの方が大変じゃありませんか?」
本当に東北の人たちは優しいなと思いました
自分たちのことよりも、吹雪の中やってきた私の方を皆さん心配してくださったんです
続けて気仙沼港も見学させていただきました
あの時、津波で陸に上がった大きな貨物船も当然ありません
気仙沼湾は大変な火災に見舞われて、湾内に焼け落ちた船が何隻もを残っていたのが未だに思い出されます
一方、3年前、BSテレビ東京の取材で出会ったも方も尋ねました
「地域起こし協力隊」と言う政府の町おこしプロジェクトで気仙沼にやってきて、その魅力に移住した元気な女性、織笠さんです
ホヤコーヒーおいしかった!
今も気仙沼の地域のための活動を仕事でしていらっしゃいます
仲間の皆さんとも一緒に写真を撮らせていただきました
相変わらず元気元気で嬉しくなりました
そんな思いを胸に講演会場につくと
なんと隣町の南三陸から
震災で知り合って、今では友人と言う方々が来てくれていたのです
南三陸さんさん商店街、佐良スタジオの佐藤さんです
震災直後に出会って、非常に深く13年間お付き合いしている被災者の方の1人
真面目でとてもいい人
商店街の皆さんからも慕われている方です
講演会には沢山の法人会会員、市民の皆さんに来ていただきました
サイン会もとても盛況でした
気仙沼のみなさんありがとうございました
この13年間本当に大変だったと思います
皆さんの笑顔に、人間の前に進む力、生きる力を感じることができました
一方で、被災して困難の中にある能登の皆さんも、この町と同じように復興し、笑顔が戻ってくることを信じています