今日、1月17日は阪神淡路大震災、発災の日です
 
29年前、昼の情報番組のリポーターをしていた私は、発災直後の1番機で、当日の午前10時台には、伊丹空港に着き取材を始めました
 
一般住宅はもちろん、マンションやビルが横倒し、高速道路倒壊、目の前で起きたガス爆発など、当時は誰も体験したことのない過酷な状況を目の当たりにして、自分自身が保てなくなり
30歳そこそこの私は興奮状態でリポートをしたことで、視聴者の皆さんからたくさんお叱りも受けました
 
その反省に立って、有珠山噴火、三宅島噴火全島避難、東日本大震災、大阪北部地震などの取材にでましたが
あれでよかったのかと
やはり反省と後悔の日々でありました
 
 
29年前の阪神淡路大震災では、
震災直後は、住民の皆さんは避難すると言う発想があまりなく
公園や校庭の焚き火に集まったり、自分の家の周りで佇んだりしている人が多く
 
全くゼロからの避難生活
それでも住民の皆さんは、ボランティアの皆さん、行政の皆さんと協力しながら強く生き延びてらっしゃいました
 
 
その後、
新潟中部地震
東日本大震災
熊本地震
日本は様々な大地震を経験してきました
 
そして、今、北陸の皆さんが
石川県の皆さんが困難と向き合ってらっしゃいます
 
この寒さと雪の中、その辛さはどれほどのものかと案じています
 
特に、能登地方は、
2007年に震度6強
去年2023年に震度6強
今回震度7
 
この16年の間に、震度6強以上の地震に3回も襲われています
 
では、備えは充分だったのか?
 
私は各地の震災伝承館を尋ねていますが
どこでも「これからの避難所」と言う展示として
 
段ボールベッド、仮設トイレ、そして、小学校体育館等の大規模避難所では、段ボールで間仕切りをしてプライバシーを守る
 
そういった展示がされています

 

 

しかし、発災当初の石川県の避難所の様子を見ると(テレビで様子を見るだけですが)東日本大震災の時と同じような避難所がいくつもあったような印象です
 
発災から12日後の能登の中学校は現在、このような状況

 

 

こうした状況が発災当初からあるといいなと思うのです
 
もしかすると、備蓄してあったのかもしれません
しかし、被災者は、組み立て方も、備蓄してある場所も知りません
体育館には目立つところに、そした案内ポスターを張っておくべきだと思います
 
なぜならば、大震災の時には、役場の担当者が避難所にやってくるのは数日後、ともすると1週間以上かかるからです
東日本大震災の避難所はそうでした
 
体育館避難所は1000人近くの人が避難してきますが、当初は被災者だけで運営しなければならないからです
 
ただ、この避難所にも、写真を見ると段ボールベッドはないようです

 
震災経験値の非常に高い石川でも
段ボールベッドがない
プライバシーの間仕切りがない避難所が、多いのが現状のようです
 
「道路状況が良くないから」と言うのは、実は理由にはならないと思います
 
なぜならば、そういった設備は、外部から運び込むのではなく、指定避難所に準備しておくものだと思うからです
 
私は石川県を批判してるわけではありません
被災者の皆さんも、役場の皆さんも本当に困難の中、頑張ってらっしゃいます
警察・消防・自衛隊・ボランティアの皆さんは、最善を尽くしていらっしゃいます
 
 
「他の自治体の皆さんは、この状況をどう考えていますか?」
ということなんです
 
阪神淡路大震災から29年
東日本大震災から13年が経とうとしている中で
 
各個人が備える事はとても大事ですが
いざと言う時のために、避難所をさらに整えておく、もっと準備しておくと言うことを、改めて各自治体で確認する必要あるのではないかと感じています
 
そして、不十分なところを今のうちに補っておく必要があると思います
 
今後30年以内に
南海トラフ地震は70%~80%
首都直下地震は70%
の確率で起きるとされているのです
 
今日は1月17日です
当日からあの現場で取材を続けたものの1人として
6000人以上の地震、そしてその関連の犠牲となった皆さんに哀悼の意を捧げます