北陸の被災地の皆さんは
雪が降り、さらに厳しい寒さとなり、大変な困難の中をお過ごしのことと思います


1月8日付、東京新聞Webより


私も13年前、東日本大震災の時に
電気、ガス、水道の止まった避難所にもなっていないビジネスホテルに背広のまま寝泊まりした経験があるので、あれ以上に寒い環境の中で避難生活を送っている皆さんの筆舌に尽くしがたい辛さは
少しですがわかります

本日、奥能登に近い観光ホテルの従業員である知り合いから連絡がありました

先方のスマホの充電がなくなってしまうといけないので、こちらから連絡する事は控えておりました

何とか元気にしていると言うことだったので、ほっとしています

本当に大変な状況だったと
体験を話してくださいました

ホテルの3階で被災
その揺れは、2007年の震度6強の能登地震の10倍はあったのではないかと言うほどの激しいものだったそうです

天井が崩落し、出入り口が塞がれてしまい、建物から外に出ないと危険だと、窓から飛び降りようとしましたが、絶対に怪我をしてしまうと思い諦めて、落ちた天井の瓦礫を1つずつ、片付けながら脱出口を作ったそうです

脱出をして、玄関まで降りて初めて「大津波警報」が出ていることを知ったと

客室は元日で満室、とにかくお客様を誘導することが先決

高齢のお客様が多く、車椅子などを使って近くの小学校の避難所まで必死の思いで避難誘導を行ったと

しかも、夕刻の温泉ホテルなので
その瞬間に入浴していた人も少なからずいたそうなんです

聞いているだけで、胸が痛んできました

そういった人たちは、寒さの中
着の身着のまま避難するしかなかったようです

すべての部屋を確認して、お客様は全員無事、従業員も少し怪我をしただけで済んだそうです

和服や制服を着ていると、仕事モードになるそうで
なんとか的確に動くことができたと

中でも、驚いたのは
避難所で寒さ対策に絶対に必要だから、と
脱衣所からありったけのバスタオルを回収して
リネン室から運べるだけの毛布など集めて、避難所に持っていったそうなんです

和服の中居さん達は、自分の羽織を、お客様にかけて差し上げたと

こうした事は、2007年、そして昨年と、複数回「震度6強」を経験している経験値から来ていることだそうです

瞬間的にこうした時、何をすれば良いか、それを判断するのは大変難しいことです

首都直下地震が起きた時
果たして、都市部に住んでいる私は、そんな風な動きができるのか

私が取材をした東日本大震災では
被災地の皆さんの我慢強さに
頭が下がる思いがいたしました

都市部でこのような震災が起きたとき、今度は私たちがその我慢強さを試される時だと思います

今回の報道を見てもおわかりのように
避難所にすぐに役場の人はやって来てくださいません

東日本大震災でも
20人規模の小さな避難所から
1000人規模の小学校の体育館まで
避難所を運営していたのは被災した住民の皆さん自身でした

私が取材した30以上の避難所では、町内会システムというものがとてもしっかり確立していて、混乱も起こさずに、被災者自身が避難所運営をしていました

避難所運営責任者の中には、家や家族を流された方もいました

自分の街は自分で守ると言う責任感から立ち上がっていたのです

そうした住民の皆さんの力が被災地を守っていました

今回の能登地震でも
そういった方たちがいらっしゃいます

しかし、今、都心部では、町内会がないところも少なくありません

地域に誰が住んでいるかわからないと言う状況で、リーダーも不在となると
避難所運営は一体誰がどうやって行くのか?

こういった様々な課題が
今後、浮き彫りになってくると思います

自分もそこにまだ自信が持てないない状況です

ただ、今は北陸の被災地をどう救うか、それが最も重要です

ホテル従業員の知人も
食料や水はもちろんだけど
「ガソリンが必要」と訴えていました

東日本大震災では、ガソリンスタンドでガソリンを入れるのに1泊2日かかっていました

当時、ガソリン待ちの行列で車中泊をしているときに亡くなられた方がいました

地震を生き延びて
津波を生き延びて
ガソリンの行列で亡くなってしまうと言うあまりにも痛ましい関連死です 

今回、こうしたことが起きないことを祈るしかありません

避難所で、在宅で、寒さをこらえている皆さんの生活環境が
一刻も早く改善されることを祈っております

自衛隊、警察、消防、役場の皆さん、その他、救出活動、支援活動に当たっている皆さんも
どうぞお体、お気をつけください

私の知人は、こうした話を聞いてくれるだけで、心が軽くなると言ってくれました

いろいろ知っていただきたいのでブログやInstagramにも書いてくださいと

その言葉を受けてここに上げさせていただきます

知人からのメッセージは最後にこう結ばれていました
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1月2日の朝
見送ったお客様にも随分励まされました。

阪神・淡路大震災や東日本大震災で被災経験のあるお客様にも
「自分達も立ち上がってきたよ」と言われました。

頑張らずに頑張ります。

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どうか、雪が止み、寒さが緩みますように

そして、孤立地域にも支援の手が届きますように