「九州文化塾」という

毎日新聞とRKB毎日放送が主催しているセミナーに講師として参加しました



アクロス福岡シンフォニーホール


クラシックのコンサートをする

サントリーホールのような素晴らしい会場





私の楽屋にもグランドピアノが、置いてありました

さすがクラシックホールです




ここに、1000人もの方々が集まって下さいました



令和時代の最新医療について

自分の闘病経験をもとにしたお話しです



帰りに聴講された方から1通のお手紙いただきました



ご主人が、私と同じ「びまん性大細胞型B細胞リンパ腫」に罹患して、残念ながらお亡くなりになったと言うお手紙でした


その悲しみに暮れている最中、私が同じ病気を公表したことで私のことを気にかけてくださり、完全寛解を亡くなったご主人代わりにとても喜んでくださる内容に胸が熱くなりました


実は

「私の家族は同じ病気で死んだのに、なぜあなたは生きているんですか?」

といった内容のお手紙をいただいたりします


その手紙に、申し訳なさとともに、ある種、共感するのは、私も抗がん剤治療中は、がんを乗り越えた人たちをただただ羨ましく、ときには妬みの感情を感じていた時期があったからです


確かに患者本人が1番苦しいのですが、寄り添っている家族も本当にきつく辛い日々を送っています


そうした中で、肉親を亡くしても私の生還も喜んでくださる

その気持ちが嬉しいのです


その方は、サイン会にも参加してくださったのですが、とてもつよい口調で

「生きてください!」

と言われたのが忘れられません

強く励まされました



会場を後にして、福岡空港へ



レストランで、1人サンデーを食べていました(講演会の後にアイスクリームを食べるのが私のルーティーンなのです)


すると、隣の2人用のテーブルに小さなお子さん2人を連れた若いお母さんが座ろうとしました


私は4人掛けのテーブルだったので

「こちらに座ってください」

と何気なく席を譲ったのですが


次の瞬間、私の事に気づいたその若いお母さんが、目を輝かせて

「笠井さんですね」

と声をあげました


席をお譲りした事が

そんなに嬉しかったのかな?

と思っていたら


「私、笠井さんと同じがん、びまん性大細胞型B細胞リンパ腫なんです。

笠井さんが乗り越えられたことを励みに頑張ってきました」


まさか、そんな偶然てあるのかと思いました

隣に来た方が、私と全く同じ病気だと言う


「それで、今の状況は」

思わず聞くと


「寛解です」

「よかったねー‼️」


知らない2人どうしで笑顔で喜び合いました


いわゆる『がん友』と言うやつです


特に同じがんだと、気持ちがすぐに1つになれます


小学生と幼稚園の小さなお嬢さん2人を抱えて血液がんになるなんて、おそらく30代、AYA世代での罹患に相当苦しかったはずなのに、本当によくがんばりました


同じ病気だけに、その大変さがわかるのです


「一緒に写真撮りましょう」


私がそう提案すると2人の娘さんは

「なんでこのおじさんと写真撮るの?」とキョトンとしていたので

「おじさんはね、お母さんの知り合いなんだよ」

と言うと、やっと笑顔になりました


お母さんは

「こんなに嬉しい事はありません。奇跡みたい」

と、何度も言っていました


そこでやっぱり考えてしまうのです


同じがんでも、生還できる人と

亡くなる方がいます


その境界線は一体どこで引かれるんでしょうか?


ステージ4の私は、なぜ命を返していただけたんだろうかと


医学と薬の進化を強く感じている中で、なぜ無念にも天国に召される方がいるのだろうかと


よかった、と、申し訳ない


ふたつの気持ちの狭間で

1人でも多くの方が、がんを乗り越えることができればと願うのです


妻、茅原ますみのブログ