仙台に到着

 

 

まずは仙石線で、仙台のお隣、多賀城へ

 

 

 

 

 

発災直後にお会いしてから12年交流のを続けているご家族のお宅に向かいます

 

地域のミニバスに乗りました

 

 

 

お客は、私だけ

 

すると、そこでとても貴重な体験をしました

 

運転手さんが、社内マイクで話しかけてきたのです

 

 

 

 

 

「今日、駅前にも献花台が設けられていますね」

 

私が献花を持っているのを見て話しかけてくださったようです

 

その話がとても貴重な話でした

 

運転手さんは、12年前、千葉に住んでいたのですが

お父さんの具合が悪くなって

39日にこちらにやってきて

12日までいる予定だったのです

 

しかし

大丈夫そうだということで

10日の日に千葉に戻ったので

被災せずに済んだのです

 

それだけではありません

 

運転手さんは、当時、自衛官

習志野駐屯地の機動部隊に所属

 

日本の全自衛官の半数は被災地に派遣されたと言う状況の中

いつまでたっても被災地への出動命令が出ず

食事に行くと、地域住民から

「まだ派遣されなくていいのか」と冷やかされたりしていたそうです

 

すると、1ヵ月後

突然、夜中に

「福島原発への出動命令」

が発令され

そこからが本当に大変だったと

 

1ヵ月間だれも近づくことができなかったので

地域の遺体の捜索から始まります

 

ご遺体の状況は大変なもので

それはもう筆舌に尽くしがたく過酷な作業だったと言うことを細かくお話しして下さいました

 

原発の1キロまで接近して

線量計を携えながら作業だったそうです

 

そして、何度も「爆発の危険がある」と言うことで、避難をしながらの遺体の捜索だったと話してくださいました

 

警察官でないので、できること

医者でないから、やりたいのにできないこと

 

その困難の中で

本当に自衛官の皆さんは大変な思いをされていたんだなとつくづく感じました

 

およそ20分間

運転手さんは、たった1人の乗客の私のためにマイクを使ってバスで話しかけてくれました

 

 

 

それは貴重な「語り部」体験でありました

 

当然、いつもそんなことは、やってないと思われますが

 

311日と言うこの特別な日だからこその体験だったと思います

 

しかも、運転手さんは

日航機墜落事故の御巣鷹の尾根

阪神淡路大震災

新潟中部地震

そして、

東日本大震災の福島原発事故現場

 

ことごとく出動しているのです

 

日本の災害現場の生き証人と言っていいかもしれません

 

「それが自衛隊の機動隊と言うものですよ」

 

事もなげにお話しする運転手さんに自衛隊員としての「気概」と

「誇り」を

そして、「感謝」を感じました

 

 

もうすぐ目的地のバス停です

 

 

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