20年前のあの日、夜11時

「とくダネ!」で毎朝3時起きの私は、もう寝室にいたのですが、
フジテレビから突然電話がかかってきました

「すぐにテレビをつけてくれ」

慌ててリビングのテレビをつけるとちょうど2機目の旅客機が、
世界貿易センタービルに突入
するところでした
 


これは大変だ
次男の具合が悪く、救急車で運ばれていたりしたのですが、妻に任せて渡米1番機でニューヨークに向かいました
 


あの光景は未だに忘れられません
グラウンドゼロは、110階建ての世界貿易センタービル2棟が完全に崩れ落ちて、その瓦礫で7階の高さになっていました

ニューヨークから毎日とくダネに中継を入れました
 
 


どんなに遠く離れて取材をしていても
世界貿易センタービルの位置はよくわかりました

何日たっても火がくすぶり続けていて、狼煙(のろし)のように空高く立ち上がっていたからです
 


この事件での死者は2977 人
そこに自爆したテロリスト19人が加わります

事件発生当時は、110階建てのビルの中にいた大勢の人が行方不明状態です

周辺にはミッシング(尋ね人)の張り紙が所狭しと貼られていました
 


日本との大きな違いは
ワンショットの証明写真のようなもの以外に、家族写真そして職場写真、グループ写真が多かったこと

事件現場からとても離れた
ニューヨークのタイムズスクエアにもたくさんのミッシングの張り紙がしてありました

「こんなところに貼っても意味ないのに」と思いましたが

ようやく分りました
あの張り紙は家族仲間を探していると同時に
「存在証明」

彼は、彼女は、父は、母は、息子は、娘は、私たちと一緒に確かにここニューヨークでで生きていたんです!

と言う
その証の張り紙だということが
取材をしていてわかりました

事件取材は人と人との絆といったものを強く感じるものでした

二度と起こしてはいけない事件
決して忘れてはいけない事件
そして
決して忘れられない取材の記憶です
 


当時のことを、知らない若い人には見てもらいたい映画があります

アメリカ映画
「ユナイテッド93」です
 


ハイジャックされた飛行機は4機

2機は世界貿易センタービルに突入し、1機はペンタゴン(アメリカ国防総省)に

残りの1機は、テロリストたちの目的を果たさせずに、墜落しました

 
それは、乗客たちが、勇気を振り絞って立ち上がって、テロリストたちに立ち向かったからです

その詳細を映画にしたのがこの作品です

人として何が大切なのかを教えてくれる心を震わせる作品です
 
 
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