フリーアナウンサーの小島一慶さんが、肺がんのためお亡くなりになりました
©︎デイリースポーツより
元TBSの人気アナウンサーで
1980年代の超人気クイズ番組「ぴったしカンカン」の2代目司会者。
実は、私は学生時代、アルバイトで、一慶さんのアシスタントをしていたのです。
仕事は毎週のように行われる「ぴったしカンカン」予選会の司会を一慶さんの変わりに勤める事でした。
毎週1組一般の方に番組に出場してもらうのですが、全国各地で本番と全く同じスタイルで番組を行い、
そこから人選をしていきました。
アルバイト学生司会者の仕事は、前説をして、硬くなっている一般の皆さんの気持ちをほぐし、一慶さんの代わりに司会をすることなのですが、この前説がうまくいかないと
TBSのディレクターやADさんに相当絞られました。
しかし、負けてはいられませんでした
「ぴったしカンカン」の初代司会者は、言わずと知れた久米宏さん
オフィス トゥーワン ホームページより
そして
そのアルバイト歴代学生アシスタント司会者は
①小倉淳さん
(→日本テレビ局アナに)
©︎フジテレビ
②川端健嗣さん
(→フジテレビ局アナに)
©︎テレビ朝日
③寺崎貴司さん
(→テレビ朝日局アナに)
先輩方が
次々と局アナに採用される、男性アナウンサーへの登竜門的アルバイトだったのです。
(なぜか皆、TBS以外)
予選会の前説の最後は、サプライズで、一慶さんを紹介します。
その瞬間会場は割れんばかりの歓声と拍手でそれはそれは大変でした。
当時、一慶さんは、ライオンのイラスト付きのサインを書いていて、サインを求められるととても時間をかけて対応していたのを思い出します。
全国各地の酒場で一慶さんにもご馳走になりました。
どこへ行っても大変な人気でした
一慶さんは、アシスタントである私に何かを教えようと言う事はせずに、「自分で盗みなさい」
そういうタイプの方でした。
そして、私は就職活動の結果
フジテレビへの入社が決まり、
このアルバイトは、ますます注目されました。
しかし!
「ぴったしカンカン」自体が最終回を迎えてしまい。
予選会のアルバイトも消えなくなってしまったのです
一慶さんは、その後フリーアナウンサーになりましたが、いろいろと波乱の道を歩まれました。
私の中では、人気アナウンサーとしてキラキラ輝いていた一慶さんの明るい笑顔しか記憶にありません。
75歳でいらっしゃったと言うことです。
一慶さん、いろいろありがとうございました。
私は、これから生き抜かなければなりません。
がんばります。
ご冥福をお祈りいたします
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#働いている皆さんありがとう
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