人は大人数の中にいると

無意識に手を抜く生き物である。 


 『ワクワク』は自然と人を

本氣にさせます。


人はいつでもワクワクしたいものです。

このワクワクこそ『私』を大切にしたい、

と思う瞬間です。


しかもこのワクワクは

『心が内側から躍動するもの』であると

一層、パワーがみなぎります。


とすれば

人が最も躍動する時ってどんな時だろうと

思いを馳せてみます。


何を連想しますか?


志望校に合格した。 

就職できた。

勤め先で評価された。

そうそう『結婚した』など

数限りなくあるけど

これらは『外側からの刺激』によるワクワクです。


内側から『かーっ』と

噴出するようなワクワクは何だろう。


『好き』になれる人と出合ったときだと

筆者は頭に浮かびます。


それまでの日常を一変させる革命的な瞬間です。


でもこの『好き』には

いくつかのレベルに分かれているらしい。


好感が持てる、

価値あるものとしてもっと知りたい、

喜びを感じるなど感情の変化があります。


しかし、これらは大なり小なり

『知覚』も付随していますので

『損得勘定』が横たわっている

可能性はは否定出来ません。


言わば『条件付き』なのです。


不快には感じていない。

むしろ積極的な好意を持っている。

そんな対象から交際を申し込まれ

『カップル』となるのですが

『損得』が頭のどこかにあると

 何か『私』が相手に不信感、疑問が起きると

ワクワクはザワザワに変わります。


『条件付き』だから仕方ないですね。


高度なワクワクは『好感』レベルではありません。


そのレベルは

『惚れる』

です。


筆者はこの『惚れる』体験の有無が

感性のベースになってくるのではないか

と思うのです。


『惚れる』とは

自分と相手との間に距離感を残す

『好感』とは次元が違います。


『惚れる』の特徴は

①心が奪われます 

②夢中になります 

③人物や物事に取り憑かれたようになります。


『私』が対象に全出力するモードになります。


『惚れる』は相手の言動に左右されません。

無条件です。

志向は

『give give give』

一本です


では『惚れる』状態に出合ったとき人は

どんな言葉を発するのでしょうか。


以前観た映画で未だに印象に残るセリフがあります。時代は明治。

ある老婦人がしみじみ言います。


「私の人生で何が良かったかと云う

 と亡くなったおじいさんと

 一緒になれたことだよ。

 他のことはどうだっていい事。

 一緒になれたことが

 一番しあわせに

 感じたことだよ。」


こんなコトバを投げかける人生って

何と嬉しい人生なのでしょうか。


いや、『惚れた』相手と添い遂げられたこと

それ自体、

奇跡

なのですけど

大切なのは

夢中になれるほどの相手と

めぐりあったことです。


映画では孫娘の結婚に

他の家族が

「お金持ちのところだからしあわせだ」

「これで円満だ」

「義理を果たせる」

と手放しで喜ぶ姿に


「本当にそれでいいのかい」


と問いかけように発したコトバでした。


実は孫娘には別に意中の

『惚れた人』が居たからです。


映画では孫娘は意に沿わない結婚を承諾します。


明治の世だから?

そうでしょうか。『結婚は現実』とばかり、


『惚れて』ないのに一緒になっていませんか。

『惚れて』ないからセックスレスになりますし『give』の前に『take』が優先する関係に

なってしまっていませんか。


何よりも相手への優しさ具合いも

『条件付き』だから日によって変わります。


『性(セックス)』は心を生かすこと。

『惚れる』は『私』の心を全出力注入していきます。セックスレスなど入り込む余地はないでしょう。


人に惚れた経験がなくて

ただ自分を大したものだと思うことを

自惚れ

と言うのでしょうか。


結婚相手だけでなく、


惚れてもいない『生き方』

をしていませんか。