「これよ、これこそ私の生き方よ!」


そんな感覚で日々生きていけたら

どんな豊かな生活が待っているでしょうか。


時間が横軸で刻まれたものじゃなくて 

いつも自分の『真っ只中』にいる感覚。


自分と対象が分かれることなく

『一体化』している。


そんな感覚を日常的に実現させていくのが

『トポス的生き方』です。 


『トポス』とは

『自分が意味ある存在として

 位置づけられている居場所』


万人不同。オリジナルな生き方。


先ずは自分が意味ある存在である、

この確信が生きる上で全ての指令塔。

究極のカスタマイズされた自分の状態を

何より大切にする。

それが『トポス』。 


『トポス』には3つのベクトルがあります。


第1に自分の『トポス』を知り、貫くこと。

孤独を知り、豊かにしていく。


第2に相手の『トポス』をリスペクトし、

応援すること。

そこまでできなくても『最低』

バカにせず、ましてや中傷なんかしない。


第3に自他の『トポス』を封殺して

我が『トポス』を強要する勢力に従わないこと。


この3つです。


『トポス』はひとつの熱伝導の関係にあります。


自分の『トポス』が不十分なら

いつも外側の品評に忙しく、

到底第2の相手の『トポス』のリスペクトに

氣は回りません。

自分と相手の『トポス』の重要性を意識しなければ

第3のどこかの『トポス』のゴリ押し、

もしくはマインドコントロールに

無頓着にしたがうことになってしまいます。


自分を

『意味ある存在として位置づけられている居場所』

が曖昧ですと

『隣人愛』への目が向かず、

いつも外側の

『強く、断定的、耳障りのよい』空氣に

吸い込まれていくと筆者は考えます。


これはこれまでの人類の歴史が物語っています。

自分の存在意義がわからないと自ら考えることを

停止し、興奮現象を

いつも外側に求めることになります。


前述のとおり自分の

『トポス』がわからないと

相手の『トポス』に関心が湧くことはありません。


このことは民主主義を健全なものにする上で

不可欠要素です。

なぜなら民主主義は

『到底賛成しがたい意見と出合っても、

 相互の価値観の葛藤に耐えつつ、

 相手の意見を尊重しつつ対話を続け、

 その中で新たな導きを見出す姿勢』

が根本にあるからです。


民主主義というのは極めてしんどい。

高度なインテリジェンスを必要とするわけで、 相手の意見を端から否定、攻撃する態度は

危険極まりないのです。


だから、すぐ感情的に相手を非難する行動は

よろしくないわけです。

どうしてすぐ非難行動にはしるかというと

自分の『トポス』がグラグラしているからです。

グラグラすると皮相的価値観に

迎合、付和雷同し、

「やっつけろ!」と大衆運動化していく。


そんな『空氣』を作り上げる因子になるんです。


威勢の良い断定する語り口は見ていて

楽しく感じられるかもしれませんが、

そんな『エンタテインメント』に

本氣になると国自体が滅びていく。

正に物理的居場所が破壊されたことを

私たちは歴史から簡単に学ぶことができるはずです。


だからこそ自分の『トポス』で生きることは

単に自分の充実人生につながるだけでなく、

コミュニティ、国、世界の

健全な発展につながるものだと

筆者は最近、とても感じています。


『居場所』がハッキリすると

争いがなくなる。


そんな考えも世の中にはある。

そう感じていただくことも

第2のトポスの実践になるはずです。


今回も最後までお読みいただきまして

ありがとうございました。