音楽は

無音と音

の美


書は

余白と文字 

の美


無音と余白

いわば『サイレンス』

『沈黙』

の部分だけど


この『沈黙』が

音と文字を美しく仕上げる母体

という関係を持っています。


人も同じ

『生きる核』は

この

『サイレンス(沈黙)』部分

が母体です。


その母体から

あなたに大切な

『コトバ』

が醸し出されます。


サイレンスは

あなたを生かす土壌

なんです。

あなたの『居場所』を

知っている。


だからその『サイレンス』に

耳を傾けないと聴くことはできない。


なぜなら『サイレンス』は

あなたの精神性が

凝縮されているものだから。


今、この『サイレンス』が

聴きにくくなっています。

『居場所』自体を

さがそうとしない。


たとえて云うと

サイレンスの土壌に

アスファルトが

敷き詰められているようだから。


土壌はいのちを

育み、実りをもたらしますが

アスファルトは

実りはなく、

ただ車に無数に通過され、

表面が歪み、たびたび

補修しないといけません。


外への意識が

内側の『サイレンス』へ

目を向けさせない。


静かなのは

おしゃべりの間の

一休み程度。


いつも何かが

ざわついている。


それは自分への

慈愛であり、

調和、許し

といった心の鎮静への

ベクトルが弱いことです。


このアスファルトは

言い換えますと

『自我』

です。


自分へのコトバを取り戻しましょう。


私は意味ある存在です。

その居場所は

しっかりと位置づけられているはずです。


それを知っているのは

サイレンス・ゾーンです。


『祈り』はここに向ける。

居場所に心が

落ち着いたとき、

アスファルトも消えているはずです。


今回も最後までお読みいただきまして

ありがとうございました。