自分の『生きる核』を
感じ取れる人生を送れたらどんなに
素敵なことでしょうか。
それは具体的に言うとどんなことかと言うと
トポス
があるということです。
トポス
とは
自らの居場所です。
ギリシア語です。
その居場所は
物理的なエリアではなく
実存的な、心身ともに
チューニングが合っている
『居場所』です。
トポスの意味はもっと深い。
位置づけられている居場所です。
あなたが意味ある存在として、
位置づけられている居場所です。
ですから
あなた限定で
とてもカスタマイズされた
あなたの居場所となります。
生きる核
とはそんな『トポス』があることなんです。
しかし、実態は『居場所』といえば
物理的エリア
が発想されます。
決してあなた特有の『居場所』ではありません。
代替え可能な『居場所』です。
私達は長年『居場所』は
世間の価値尺度で決められた中で
生きてきたのかもしれません。
その昔は
『問答無用』で超個人的に
一方的権力的な価値観で
強制的(暴力的)に決められていた時代もありました。
でも、現代人も決して
『トポス』に生きているとは言えない。
それはソフトに形成されるので
氣がつかないかもしれないけど
いつの間にか
誰かの思惑の流れで
『居場所』が決められ、
安心感の中で
ズルズルと時を送る羽目に
陥っているかもしれないのです。
どうしてそう言えるかと言うと
『私の居場所(トポス)に今居ます』
と言える人が果たしてどれくらいいるのでしょうか、という点からもうかがえるでしょう。
筆者も含めて、
今、
『たった一つのいのち』を生きています。
そしてその『いのち』は
代替え不能な授かった『いのち』です。
自分にしか出来ない何かを
期待された『いのち』であるはずです。
だからこそ
自分特有の
『生きる核』を見出す努力が
必要になります。
『祈り』を日常化するとともに
自力で自分の自分なりの確立が必要です。
『生きる核』をキャッチできる受け皿です。
次元を超えた『コトバ』が受け取れるための
勉強、思索、反省
の日常です。
それが前提にないと舞い込んだ『コトバ』を
逃してしまうおそれがあります。
その過程は地味なことだけど
この中で培われる重要な習慣があります。
それは
『自分の言葉を養える』ことです。
『トポス』は自分の居場所
そう言えるためには普段から
『自分の言葉』を使いこなしておかないと
いけません。
『自分の言葉』を使っていないと
どうなるのでしょうか。
言い換えますと
言葉を奪われるとどうなるか
ただただ現実的に
周りの言うことを受けるだけで
服従を余儀なくされ
意志を持つことをあきらめる人間
になることです。
単なる感情表現ではなくて
勉強、思索、反省
から出てくる
『自分の言葉』を磨いていく。
『生きる核』のコトバ
はその真っ只中で
やってくる
のではないかと筆者はいつも感じています。
自分の言葉、奪われていませんか。
今回も最後までお読みいただきまして
ありがとうございました。