「あなたは何もわかってくれない。

 一から十まで言わないとわからないの?」


 人間関係が滞る要因には
この

相手に対する『察する力』の欠如への

イラ立ちが心に宿っている場合が多い。 


 『察する姿勢』はあらゆる人間関係で

最も重要な『軸』になる要素です。 


 今日は東京都知事選挙の投票日です。

政治家にとって、本来、この

『察する姿勢』は

存在意義を左右すると言っても良いでしょう。 


なぜなら『察する』とは国民の氣持ちと

同化させる

『思い』と『責任』

だからです。


口でいかに『国民への理解と信頼』と言っても

当の政治家の言葉が単なる

上滑りの

『知識』を発するだけでは何も届きません。


政治家が生きてきた

『実体験』と『真摯さ』の言葉で語られなければ

『滑るだけ』です。


昔、このようなことを言われた政治家がいらっしゃいました。


「生活環境が厳しくなってくるとか弱い、

 寄る辺のない人間が

 時代の急流に押し流されることになる。

 政治家はこれを黙認するわけにはいかない。

 権力は全身全霊の力を込めて

 その急流をせき止めて

 人間を守らなくてはならない」と。


 声なき、術がない。

しかし、その悩み、苦しみを正確に

『察する』ことに身命をかけるのが

政治家だというわけです。


決して自分の『知識』『経験』をラインナップして「こんな効果が期待できますよ」と

セールスマンシップの『言葉』を

発するのではなくて、

相手(国民)の思いの本質をどれだけ正確に捉えて、

それを代弁できる姿勢が

政治家にとっての『察する』姿勢が

本来の姿だということです。


政治家は票に反映すれば

氣持ちを『察した』と

自己弁護できますが

ちまたの人間関係ではそうはいかないもの。


この『察する姿勢』のセンスは

あらゆる対人関係で関係性の質に

影響を与えていくからです。


とくに冒頭のような言葉が飛び交い兼ねない、

夫婦、カップル間においては

『察する』センスがないことは

相互間に無理解を促進します。


ここで云う『察する』とは

言葉に表されない『思い』に対する直感力です。


また自分の意に反する内容にも受け容れ、

尊重する寛容さでもあり、

これを『常日頃』からお互いに育てておかないと、

双方の正義の衝突になることは明らかです。


ではどうすると

『察すること』を『察する』ことが

できるようになるのかが課題となりますね。


先ず意識すべきは

日頃から精神的な意味で

相手の存在意義をどこまで

深く洞察していくこと。

そんな思いを馳せてみることです。


パートナーが『意味のある存在』であることを

探求し、確信の上、

それを支援しようとする姿勢。


夫婦ですから『支援』することの

推奨だなんて矛盾していますが

実際問題として『仮面夫婦』『同居人』と

称される関係を見聞きします。


その背景には

相互の存在意義について考慮することなく、

物理的に共存しているけれど

『根無し草』となり居場所が定まらないから

そのような関係性に陥っている場合があります。


『察する』とは

自分の意見、知識、技術を

一方的に解釈して

独善、建前、虚飾で押しつけるものではなく、

相手の存在意義から導かれた

本来の居場所への

『調整』の意味合いがあるのではないでしょうか。


単に現状への対処するだけではなくて

『過去・未来』とも包括した

『あるべき姿』を心から思う姿勢。


つまり『愛』がないと

『察する』というベクトルは生まれないのです。


政治家は国民への『愛』ですし、

夫婦関係であればパートナーへの『愛』。 

ここに行き着きます。 


 今回も最後までお読みいただきまして

ありがとうございました。