『活字』とは情報です。

外側からの自分の意図とは

無関係にやってくるものです。


今は『マーケティング』という技法で

関心領域を

巧みに活用するのが常識なんですが

積極、自発的な選択に感じさせて

実際は『まんま』と外の目論見に

包みこまれているといったほうが良いでしょう。


これも自分は広い意味で

活字

ととらえています。


私達は歴史上、最大規模、ノンストップで

外側からの情報という名の

活字

にさらされています。


今日もスマホを眺めながら器用に歩く人を

多く見かけました。


外には危険がいっぱい潜んでいるのに

もっと大事な『活字』を求めているのですね。


たしかに文明の進化は喜ばしいけれど

相応して

文化の衰退は招きたくないものです。


外側からみる『自分』とは

結局『器械』か『記号』にしか過ぎません。

統計上の『員数』です。


いかに人権の尊重と言っても

雑踏中で視界に入る

見知らぬ人は

物理的存在以外のものではありません。


関係性ができたとき存在するのです。


だから、情報は

自分にとって必要なものだけをとらえる

感性と理性がないとただただ

マーケティングの目論見に

ハマるだけです。


しかし、現代においてスマホなしの生活なんて

不可能です。


だから、一日一度

自分は

一日一筆習慣を取り入れるべきだと思うのです。


主体的に自らペンを走らせる。

肉筆を残す。

これはその時『生きていた』存在証明

でもあります。


情報の海にさらされて

自分

から出すものとして

文字を書くことです。


文字、筆跡は

心の骨格

です。


ワープロ文字ではない

あなたの

人格が示された文字を書き、

その刺激を体感し、眺める

この一連の行動が


何か


に氣付かせてくれるかもしれません。


一日一筆。


あなたの生活の全てが

あなたの生態系が

『活字』だけで占められたら

くやしくないですか?


今回も最後までお読みいただきまして

ありがとうございました。