『愛犬』を描きあげた後、 

文字を書くと

とてもいい感じの文字になります。


良い文字なんです。


上手とか下手とか

見映えの次元ではなくて、

書いているときから

なにかペン先がよどみなく、

抵抗感なく流れるように書いていることに

氣付かされます。


覆い隠されていない自分がいるような感覚です。


無私、とでも言うのでしょうか。


『没頭』の副産物がそこにあります。


自分の場合は 

『愛犬を描く』という行為が

媒介物となりましたが、

お一人お一人に

没頭へいざなうものは内蔵されているはずです。


この『没頭要素』を見つけると

しあわせになります。

自分への最高のプレゼントです。


忘れかけていた

喜びの火種を見つけるようなもの。


では、それは

どこで見つけることができるのでしょうか。


それは文字の中にあります。

 

あなたの『肉筆』の中から見いだせます。


文字は長年の生活、養育環境、

大きくとらえて、

『時代』の影響を与えながら形成された、

心の有り様が

『筆跡』として成り立たせます。


つまり、

『筆跡』は心の骨格なのです。


ですから生涯基本的には変わりません。

マイナーチェンジはあっても原動力は変わらない、


極めて保守色の濃い要素という訳です。


『筆跡』を変えることは

顔形を変えるごとく至難の技です。


自分らしく生きるとはこの『骨格』と向き合い、

骨格をよりよくパフォーマンスできるための

力、技術、知識、智慧で肉付けして、

自他の喜びに繋げることではないでしょうか。


しかし、ご自身の文字に

否定的感情を持たれている方が

多くいらっしゃいます。


作家の中でも

肉筆へのコンプレックスから

『活字体となって自分が生きる』と

原稿をことごとく『焼却処分』した方もいるほどです。


一方、原稿自体が流麗で惚れ惚れするほど美しく、

それ自体、製本編集する価値を有する

樋口一葉

の『たけくらべ』の肉筆は


活字プラス彼女の品格


と相まって、作品の魅力も増しています。


厳しい生活環境の中においても

執筆していた、一葉の真っ只中の『没頭の美』が

こめられているようです。


作品とはたしかに完成形ではありますが

完成へ導く、過程の真っ只中にある

没頭空間

もまた作品を作り出した追い風であり、

作者自身のエネルギーを表すものだからです。


いかに

悪筆

と自分が感じていたとしても

それを生み出している自分の人間性を

筆跡

の中から見出してみる。


きっと

真の没頭への媒介物

が見つかるかもしれません。



あなたの骨格があなたの魅力の起動ソフトです。

骨格はあなたの『筆跡』が語ります。


向き合ってみませんか。 

ありのままの自分に。


文字こそ人の心をあらわすものなれ

           (樋口一葉) 


今回も最後までお読みいただきまして

ありがとうございました。